■寅彦帳 過去帳(5)■

■2006.11.04 【続 大人(?)の遠足】

 修善寺 虹の郷 夏目漱石記念館より

 友人と2人で修善寺に行ってまいりました。遠足です。文字通り遠足です。正しく遠足です。歩く歩く歩く…。
 修善寺駅より修善寺温泉までバスで行き、虚子の句碑をながめつつ梅林を経由して修善寺自然公園へ行き漱石碑を見物、さらに虹の郷の夏目漱石記念館へも歩いて行きました。
 修善寺は坂が多いというよりは、山なんだと思います。山の中の町…。どこへ行っても坂です。修善寺観光協会はもっと正確な観光関連の地図(漱石関連施設中心の)をつくるべきです! え? 需要が少ない…?! それにしたって、行く先々でどっちに行ったらいいか迷っていました。配布されている絵地図や道端にある看板の地図を見ても縮尺がわからない…。まぁ、縮尺がわかったところで坂道なので、距離よりも長く感じられてしまうのですが。
 修善寺はさびれているのではないかという疑惑を持っていたのですが、どうしてどうして、大層にぎわっていました。びっくり。修善寺のみなさんすみません。立派に観光地でした。3連休の中日で普段よりもさらににぎわっていたのではないかと想像しておりますが。

 夏目漱石記念館は小さな建物なのですが(しかも2階部分だけを移築)、展示には満足したというか、いい雰囲気でした。まぁ、夏目先生にしてみたら胃潰瘍の療養生活を送った場なのですが、古い建物にしてはこぎれいで、居心地のよい部屋でした。写真撮影可ということだったので、中も外もバシバシ撮らせていただきました! 大満足!

 どうでもいいことなのかもしれませんが、特に時間を気にしていなかったにもかかわらず、バスやら電車やらに乗るタイミングが非常によく、嬉しかったです。今回はどこでもあまり待つことなく乗れました。天気にも恵まれて、暑くもなく寒くもなく、雨も降らず幸いでした。
 気持ちの良い疲労感と充足感を体一杯に満たして帰ってまいりました。楽しい1日でした。

■2006.10.25 【鍵】
 小林勇は色々な重要な鍵をにぎっている人物だと思います。岩波書店の編集→独立/鉄塔書院→岩波書店→専務→会長、という人のようですが、詳細は未確認。寺田寅彦著『物質と言葉』は鉄塔書院から(寅彦自身が装丁をデザイン)出版されています。また、幸田露伴や斎藤茂吉の葬儀委員長や中谷宇吉郎の娘の結婚披露宴の司会をやったり(過去帳3参照)、中谷と一緒に絵の個展(二人展?)を開いたりしています。

 山田一郎著『寺田寅彦 妻たちの歳月』(岩波書店)より引用

 矢島祐利の評伝『寺田寅彦』にはこの本の性格から言っても、そこまで踏み込んだ考察は行われていない。矢島は寅彦全集の編纂に当たって、高知の寺田家の土蔵まで調べ、断簡零墨に至るまで博捜した。しかし、収集した資料のすべてを全集に収録したのではなく、漱石全集(岩波書店)を編集した小宮豊隆の例にならって、寺田家と寅彦の私事に亘るものは取捨選択する方針を取ったのである。その一つの例を矢島の下で働いた小林勇が「文豪の夫人たち」の中の「寺田寅彦」で、次のように書いている。

 〈寅彦は日記、手帳、スケッチブックなどをたくさん遺した。ある日、矢島氏は一冊の手帳を見ながら考えこんでいる様子であった。やがて渡されたのを見ると、まぎれもなく寅彦の手で不思議な文が綴られていた。
 (中略)編纂方式に従えば、これも当然入れられるべきであった。しかし、今度私は「寅彦全集」を調べて見たが、それは見出すことが出来なかった。
 曙町の寺田家は、昭和二十年、戦火によって焼失し、多くの貴重なものが消えてしまったようだ。この手帳も恐らくその中に入っていたであろう。私の記憶からはそのデテールは消えたが、矢島氏はどうであろうか。(略)〉(『文藝春秋』一九七二年六月)
 (pp.297-298)

 矢島祐利もかなり重要な鍵をにぎっているようです。著作の『寺田寅彦』、かなり気になっています…!
 もちろん、小林勇著『回想の寺田寅彦』も…!

■2006.10.23 【大人(?)の遠足】
 11月の頭に、友人と修善寺に遊びに行きます。題して、「漱石吐血めぐり」!(不謹慎な…。)
 どこをどう歩こうか、ただいま研究中です。「虹の郷」の漱石記念館と、修善寺自然公園の文学碑は必須ですよ!
 それにしても地図を見ただけでは距離感がつかめません。経験を積めば、地図を見て距離感をつかめるようになるかと思っていたのですが、もしかするとそうでもないのでしょうか…。いえ、数値的な距離はわかりますが(一応読図はできる)、それ以上を想像するにはまだまだ修行が足りないかもしれません。地図を眺めるのは好きです。よくこれだけのものを作ったな〜と、制作にかかわった人に対しては敬服するばかりです。ありがたや〜。

■2006.10.14 【読書の秋】
 友達に教えてもらった、この秋の寅彦本の新刊(!)山田一郎著『寺田寅彦 妻たちの歳月』、図書館に入るか、それがいつになるか、わからないのがもどかしく思わずネットの本屋さんで購入。ついでに寅彦プロモーションビデオ(と私は思っている)紀伊国屋書店「学問と情熱」シリーズDVD第31巻『寺田寅彦』購入。参考資料の欄に某雑誌で寅彦の特集があったことを知り、近隣の図書館の所蔵を調べたものの発刊年が古いためか見当たらず、もどかしくなってネットの古本屋さんに購入の申し込み…と、芋づる方式で買い続けています。やばい。ここ数年本を買うことにブレーキをかけてきたはずなのに、何このスピード。「読書の秋」というよりは「物欲の秋」といった様相を呈してまいりました。やばい。でも嬉しい。←そこがますますやばい。

 山田一郎著『寺田寅彦 妻たちの歳月』は帯によると「
三人の妻たちの歳月を、新資料をまじえながらつぶさに辿り、寺田寅彦の生涯をあざやかに照射する。」ということなので、もしかして新資料って紳子さん(3番目の妻)の写真?! と淡い期待を寄せていたのですが、残念ながら紳子さんの写真はありませんでした…。さすが、写真嫌い…。(自分が写っている写真はみんな破り捨てたとも…。) どんな顔か知りたいのですが、普通の手段では無理っぽいです。非常に気にはなっているのですが、一読者であり、寺田家とはなんの縁もない私が、写真を嫌っていた方の写真を無理に探して見るという行為は、もしかするとエゴに満ちて、本人の望まない行為かもしれないかと思うと、見ることができないのも当然かな、と思わないでもないです。…が、気になる(笑)。もしかすると、このまま寅彦についてアレコレ調べていったら、写真を見つけるチャンスもあるかもしれない、と、さらに淡い期待を寄せつつ、自分を慰めております。懲りない。

 DVD『寺田寅彦』、実はこの「学問と情熱」のビデオシリーズは近所の図書館にもあるのですが、残念ながら第3期までしか所蔵がありません。そしてこの第31巻『寺田寅彦』は第4期の作品…! 第4期も買ってよ〜某図書館! 悔しさあまって県内の図書館について検索したところ、県立図書館まで行けばあるらしいことが判明。しかし、往復の交通費に少し足せばDVDが買えるので、買ってしまうことにしました。だって欲しかったんだもん! 各家庭に1本、寅彦プロモ!!
 寺田寅彦の文章を風間杜夫が読んでいるのが少々こそばゆかったのですが(寺田先生が読んだらこんな感じなのかしら、それともどんな声なのかしら、といつもなら考えないことを考えてしまったため)、わりと写真が鮮明で、え〜寅彦この写真のときこんな表情してたの? とか、髪の毛そっちにカーブしてるんだ、とか、新鮮な驚きがありました。それに、高知の映像が多く、高知県立文学館や寺田寅彦記念館が出てきてうれしかったです。グッジョブ紀伊国屋書店!
 私は物理学に対してどうも苦手意識があるので(目に見えないものの理解が苦手…力学とか)、物理学者である寺田寅彦の作品や関連書を読んでいても物理学的な分野の話題になるとついつい飛ばしてしまいます。ふと、どうしてこんな私が物理学者に興味を持ったのか不思議になることもあります。(もちろん、物理学という分野を超越した寅彦の魅力によるところが大きいのですが。) しかし、今回のDVDの専門家による物理学的な部分の説明がわかりやすかったので(おそらく要点のみでしょうが)、寅彦の世界に一歩近づけたような嬉しさを感じました。寅彦を知る人の話を聞いているような気にもなりました。錯覚ですか?(苦笑)

 「学問と情熱」シリーズで、牧野富太郎の巻もつくってくれたらいいのに〜と夢見ています。夢を見るのはタダですからね!

■2006.10.13 【
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 子規】

 NHK『にほんごであそぼ』という番組を毎日のように見ているのですが、昨日は子規のこの句が登場。柿を一口食べると鐘がゴーン、三口食べるとゴンゴンゴーン、と鳴って楽しかったです。この絵ではうまく伝わらないかもしれませんが、まぁ、雰囲気だけでも…。

■2006.10.11 【上村登著 『花と恋して 牧野富太郎伝』(高知新聞社)】
 寅彦とトミー(牧野富太郎)は同じ高知県出身なので、何かエピソードはないかと思っていたのですが、今日ついに発見。

 高知県出身の動物学(魚学)の大家田中茂穂博士が、その随筆の中に興味深い話を書いている。田中博士がかつて東京の市電の中で、同郷高知出身の寺田寅彦博士と同車して、たまたま話が土佐出身の人物のことに及び、田中博士が、
「時に寺田さん、あなたは土佐出身者でだれを一番偉いと思いますか」
 とたずねられたところ、寺田博士は言下に、
「牧野富太郎」
 と答えた。後日、田中博士が牧野博士に面会の時、同じ質問をしたところ、牧野博士は直ちに、
「寺田寅彦」
 と答えたという。
 (pp.302-303)

 これだけで、白飯3杯いける! と思いました。グッジョブ田中博士! 高知新聞社、万歳!
 この2人の関係については、調べればもっと色々エピソードが出てくるかもしれないですね! ムフフ。楽しみです。

■2006.10.01 【人物当てクイズ!】
 似顔絵をいくらか描いてみたのをクイズにしてみました。よろしければこちらをごらんください。ご挑戦、お待ちしております。
 (ヒントがなければわからない気が…。)

 (追記) ヒントをつけてみました。いかがでしょうか? (2006.10.11)

■2006.09.24 【本郷根岸文学散歩】

 実は、9月17日に東京へ遊びに行っていました。彼のお方とお会いするためです。御茶ノ水から本郷、上野と歩き、その後根岸を散策しました。地理をろくすっぽ予習せず、きちんとした地図を持っていかなかったので、案内してもらうばかりでした。私は街歩きで道に迷うのを苦にしないので、無責任にも楽しく歩いていました。あのあたりの距離感がつかめたのでよかったです。夏目漱石の『こころ』の若かりし頃の“先生”が悶々と散歩する場面で、どのくらいの距離を歩いたのか、ずっと気になっていたのです…高校時代から(笑)。
 念願の羽二重団子も食べました。食べるのについ夢中になってしまいました…。若い男子なら2本じゃ足りないであろうと思われます。お茶のお変わり自由なのも嬉しかったです。(そんなにガブガブ飲んだわけではありませんが…。)
 お付き合いいただいて感謝するばかりです。お会いできて幸せでした。どうもありがとうございました!

 地図を持っていかなかったことが悔やまれてならなかったので、先日買いに行ってしまいました。昭文社『東京都区分地図5 台東区』これ1枚で今回歩いた場所が全部入っています。行く前に買えばよかった…、と思いつつ、歩いた道をマーカーでチェックしました。ついでに『(同)6 文京区』も購入。前から自分には昭文社の地図が合っているという気がしていたのですが、益々その気持ちが強くなりました。だってこのシリーズ、付録で昭和7年当時の地図(概略)がついているんですもの! 昭和7年っていったら、寅彦生きてる!! 昭文社、大好き!(笑)

■2006.09.14 【みもとけいこ著 『愛したのは、「拙にして聖」なる者』(創風社出版)】

 …こういうこと? 虚子寄りの漱石を研究した本…?
 まだきちんと消化できていないのですが、とりあえず読了。

 明治三十六年一月、精神病を発病してロンドンから帰ってきた漱石を慰め、支えつづけたのは寅彦と虚子だった。寅彦に対しては「弟のような」愛情だったが、虚子に対しては複雑な鬱屈するものがあった。それは子規を絡めた「三角関係」と言ってもいいほどの、愛情と憎しみ、共感と反発に満ちた関係だった。(p.177)

 漱石が寅彦に対してどんな思いを抱いて接していたのか、まだ私には量りかねています。弟とか、年下のいとことか、甥とか、友達とか、生徒とか、色々な言葉を並べてみるものの、私にはまだ「これだ!」という決定的な言葉には達していないといいますか…。この著者は「弟のような」愛情という見方をしているのか〜、と思っているところです。
 ちなみに、本書は漱石、子規、虚子についての考察が主なので、寅彦はほとんど登場しません。寅彦は、忘れた頃、来る。

■2006.09.13 【写真:オニバスを首にかけた牧野富太郎 より】

 牧野富太郎認知度向上運動展開中。ついでにタブレット直描き練習中。

 高知県立牧野植物園のミュージアムショップにて、『牧野富太郎写真集』発見。そりゃあ当然買うよね!
 絵葉書(富太郎の写真、植物画などの柄)発見。そりゃあ当然買うよね!(ブロマイドだ!)
 植物画集発見。そりゃあ当然(以下同文)。

 牧野植物園、楽しかったです!

■2006.09.11 【旅行写真】
 旅行中に撮った写真が概ね焼きあがりました。
 自分の撮影能力のなさに軽く絶望感を抱いている今日このごろです…。前々から写真を撮るのは下手だと思っていましたが、これほどとは…。
 せめて、もう少しいいカメラ(デジカメなど)買った方がいいのかもしれません。(今はAPSを使っているのですが、ピントの調節が一切できないので、近くのものを撮るともれなくぼけたり、大きいものがフレームに納まらずに写真を見てがっくり、ということがかなりあります…。) もっと撮影の練習をした方がよさそうです。とほほ。

 さて、先日は夏目先生とその周辺人物を中心に語る会(チャット)に参加させていただきました。「金ちゃんはうさたんでいい」全会一致で可決。常識超絶是公クオルティ。すごい、すごすぎるよ是公! 青森のラーメンにはお麩が入っているということにそこはかとない衝撃を受けつつも楽しい時間でした。どうもありがとうございました。お邪魔しました!

■2006.09.06 【旅行から戻りました。】
 高知・松山に行ってまいりました。天候にも恵まれ、少し日に焼けてしまったようです。ハプニングも色々ありましたが、楽しい旅行でした。高知はリターンマッチ希望。松山もいいところでした。以上、まずはご一報まで。
 追伸 うどんは4回食べました。

■2006.08.25 【旅行計画】
 先日も書きましたが、ちょっと遅めの夏休みが取れたので、9月3日(日)〜5日(火)の間、高知・松山を旅行します。正確には9月2日の仕事が終わった後、夜行で出発、5日に夜行で現地発、翌6日午前に帰宅、という予定です。みっちりぎっちり。一人旅って、止める人がいないから、無茶しがちだよね…☆ ということで、あっちもこっちも行きたいとガイドブックに付箋をはりまくっています。文明の利器、インターネットも使って調べているのですが、バスの経路があったりなかったり、あの方のお墓がどうも駅から遠い感じだったり、もしかしてレンタカーとか借りた方が便利? とか思ったり、でも私は車が運転できなかったり、レンタサイクルで行くとしても地図上の等高線が気になったり、うどんが有名なのは讃岐であって高知や松山じゃなかったり、そんな状態です。讃岐は香川でした…。はたしてどんな旅行になるやら…?

 ところで、最近パソコンで「しき」を変換すると「子規」と出るようになりました。

■2006.08.20 【初バトン?】
 閑雲野鶴の菜川さまよりバトンを受け取りました(人生初?)。どうもありがとうございます! まわしてくれた人が指定したこと(【 】内)について語る、というものだそうです。私がいただいたお題は【寺田寅彦】! ありがとうございます!!(笑) 諸事情により回答がズイブン遅れてしまいましたが…。
 寅彦について、まだまだ勉強し始めたばかりなので、イメージや自分の考えがまとまらないのですが、思うままに書いてみました。もっと知識があったら、もっとましな回答ができただろうなぁと思います…。(後に、同じ課題に再挑戦するのもいいかもしれない。…追試?) とりあえず、現段階の見解ということで、ご了承いただけたらと思います。(言い訳)

◆最近思う【寺田寅彦】
 9月1日の防災の日が近づくと、「
天災は忘れた頃来る」の格言と寺田寅彦について取り上げられる機会が増えて嬉しいです。みんな、寅彦のことを知って! 知って!!
 ところで寅彦の写真を見ると、どの年代も太った写真というのがありません。太らない体質なのか、それとも体が弱かったり、胃がわるかったりしたせいなのか、気になっています。まさか、太っている時期には写真を撮らなかった、なんてことはありませんよねぇ…?

◆この【寺田寅彦】には感動!!!!
 弟子に影響を与えまくっているところ! 現代も寅彦の子弟子、孫弟子が寅彦の素晴らしさを語り継ぎ、その魂を受け継いでいるように思われます。(妄想?) 寅彦自身も先生から影響を受けています。自分の先生について書いた文章からは敬愛の情がにじみ出ているように思います。先生を愛する寅彦、弟子に愛される寅彦…! 夏目先生への追悼句なんて、他の人には詠めない句ばかりですよねぇ…色んな意味で。
 中谷宇吉郎の「長岡と寺田」(『中谷宇吉郎集』第6巻)で描かれていた、大教授・長岡半太郎とのやりとりをはじめて読んだときは衝撃的でした。信念は曲げない寅彦、スゴイです。カッコイイ!(ちょっと恐ろしいくらいです。) ぼんやりしているようで、案外情熱家です。

◆直感的【寺田寅彦】
 物理学者。(物理学の枠をはるかに超えた人だと思います。戦前の典型的なインテリ生活を送っていた人なのでは。)
 夏目漱石の弟子。(と、世間的に書かれることが多い気が…。まぁ、私もその方面から寅彦の名前を知ったのですが。)
 奥さん3人。(夏子さん、寛子さん、紳子さん。寅彦に大きな影響を与えました。)
 5人の子供の父親。(書簡、日記に見られる子供関連記述の多いこと…! 子供への書簡も面白いですが(心配性な寅彦)、友人への手紙にも子供への気配りというか、配慮というか、色々書かれていて面白いです。面白がってばかりですみません。)
 甘党(重度)。ヘビースモーカー。外国語に強い。好奇心旺盛。多趣味。音楽大好き(聴くのも演奏するのも)。絵も描く。著書はこだわりの装丁。

◆好きな【寺田寅彦】
 随筆にみられる、寅彦独自の視点、考え方、表し方など。寅彦の文章には人柄がしっかりと出ていると思います。科学随筆を読むときなど、「寺田先生」に講義してもらっているような気持ちになります。当然ながら寅彦に直接会ったことはないのですが(昭和10年没なので)、寅彦の文章を読んでいると、目の前でお話をしてくださっているような気持ちになります。たくさんの文章を残してくれたことには感謝するばかりです。寅彦の視点は、時代の先の先にあったのかな、と現代人の私には思えます。現代人へ残された課題も多い…。
 忘れちゃいけない、夏目先生へのリスペクトっぷりも大好きです! 先生の家に通いまくりだ! 通いすぎだ! そんなに通ったんならもっと色々(文章とか、書簡とか、遺品とか)残してくれてもいいのに! 学生時代には、書生にしてくれって頼んじゃった! でもこの部屋ならって言われた部屋が物置だったのであきらめちゃった! 寅彦、おぼっちゃんだから…。

◆こんな【寺田寅彦】はやだ!
 酒豪で辛党の寅彦。権力や上司に媚びる寅彦。上昇志向ギラギラな寅彦。筋骨隆々な寅彦。(…ずれてきた?)

◆この世に【寺田寅彦】がなかったら?
 寺田家は養子縁組が必要になったことでしょう…。
 夏目先生は物足りなかったのでは…?(別格の弟子の不在) 松根や小宮も夏目門下仲間として寂しかったことでしょう。松根は毎週寅彦と連句をやっていたし(小宮は途中で破門されたけど)。
 寅彦の弟子達は全然違う研究をしていたかもしれない。中谷の雪の研究だってなかったかもしれない。
 私は現在、寅彦ってなんてすごい人なんだろう(色んな意味で)と思いつつ、著書や関連書を読み進めているところなので、もし存在していなかったらこの楽しみもなかった…もとい、日本人として、人間として、寅彦が教えてくれた素敵な世界や、可能性といったものにもしかしたら一生気づかなかったかもしれません。寅彦の存在には、ひたすら感謝、感謝です。

◆次に回す、5人(【指定】付きで)
 思いつかないのでここでおしまい。もしチャレンジしたい人がいましたら、以下のものをコピーして使ってくださいまし。

***以下コピペ用***
指定型バトン ■
(※指定型バトンのルール:廻してくれた人から貰った
【指定】を【】の中に入れて答える事。
また、廻す時、その人に指定する事。)
◆最近思う【】
◆この【】には感動!!!!
◆直感的【】
◆好きな【】
◆こんな【】はやだ!
◆この世に【】がなかったら?
◆次に回す、5人(【指定】付きで)

■2006.08.20 【ワガハイのうた】
 2006.06.19に書いたTBS愛の劇場『吾輩は主婦である』の主題歌「家庭内デート」(やな家)の歌詞の件ですが(過去帳4参照)、♪家庭内デート〜 当たり前〜すぎ〜て〜♪ の後に続くのは、「やましい気持ち」だそうです。カラオケでも歌えるそうです。2番の歌詞もおもしろいのだとか…。情報をお寄せくださって、どうもありがとうございました! おかげで気分スッキリです!

 9月上旬に高知・松山一人旅に出る予定です。毎日時刻表とにらめっこしています。私の旅行計画を立てるのが好きな性質は、どうやら父譲りらしい…。四国へは行ったことがないので、どんな場所なのか想像もつきませんが、とても楽しみです。

■2006.07.25 【吉村冬彦(寺田寅彦)著 『橡の實(とちのみ)』】
 ここ数年まっとうに働いていなかったので足が遠のいていた、親子二代でお世話になっている古本屋に仕事帰りに寄ってみました。久しぶり…というよりは、もしかすると数年ぶり。狭い店内に積み重なった本の間で(店内で人とすれ違うことができない)、年季の入った本を見ながら愛想のいいおじさん(店主)と話しているとついつい買ってしまうので、行かないことにしていたのです。今回久々にお店を訪ねたのは、ここのところ順調に働いているので、財布の紐がゆるんで本を買う気になったせいです。図書館で何度も何度も借りていた『中谷宇吉郎随筆選集』(全3巻/朝日新聞社)を購入する決心をし、もしかしてあの店にならあるかもしれないと思ったからです。
 おじさんは以前より少し丸みが増した感じでしたが「やぁ、久しぶり!」の声は以前と変わりませんでした。店内も本が増えたほかはあまり変わっておらず(日に日に本が増えていく…)、一通り見た後で探している本について聞いてみました。残念ながらないそうなので、ネットで通販してみようかな、と考えながら本棚を見ていると復刻版の宮沢賢治著『注文の多い料理店』が。ぱらぱらめくって本棚にもどしたところ、近くに何と吉村冬彦著『橡の實』があるじゃないですか!!(吉村冬彦は寺田寅彦の筆名です。) 復刻版かと思って手に取ったら、奥付に「
第七刷 昭和二十一年九月二十日」、戦後の刷りですが復刻版ではなかったのです。箱はボロボロになっているし、日に焼けているとはいっても500円というお手ごろ価格。もちろん、大喜びで買って帰りました。(しかも50円まけてくれた…! ありがとう、おじさん! また寄るね!!)

 家に帰って早速開いてみたら、序文を小宮豊隆が書いていてビックリ。『橡の實』が刊行されたのは昭和11年3月。序文「『橡の實のはじめに」の文末に記されている日付が昭和11年2月21日夜。昭和10年12月31日に寅彦が亡くなって間もない時期に書かれた文章です。寅彦を失った寂しさが文章からしみじみと感じられるような気がします。ちょっと以下引用(旧字体は改めました)。

 
事実寺田さんの書くものほど、はっきり寺田さんの出ているものはない。ドイツ語に jeder Zoll ein Soldat というのがあって、脚の爪先から頭の天辺まで軍人だという意味を表現する。寺田さんの書くものは、どんな短いものでも、 jeder Zoll Torahiko である。 (pp.12-13)

 
寺田寅彦が吉村冬彦であるという事を、知らない人は、意外に多い。知っている人でも、大抵は、科学の方の名前が寺田寅彦であり、文学の方の名前が吉村冬彦であると、考えている。それは正にその通りに違いないは然し事実は寺田さんにとって、科学と文学とは、決してそんな、離れ離れのものではなかった。寺田さんの内部では、寺田さんの科学と寺田さんの文学とは、「人間」寺田寅彦で統一され、美しく調和して住んでいた。 (p.18)

 グッジョブ、小宮!
 小宮は寅彦のことを「寺田さん」ってよぶのか〜。

 この本の文章については、おそらく今まで全集等で読んだことがあるものが多いと思うのですが、旧字体や装丁を含めて今後じっくり味わいたいと思います。ムフフ。

 それにしても、古本屋、おそるべし。店内をちらりと見ただけでも、復刻版の夏目漱石著『こころ』や、『漱石文学全集 別巻』(漱石研究年表(荒正人) )、原武哲著『夏目漱石と菅虎雄なんかがあって、ぐらぐら来ました。お金の持ち合わせがあまりなかったので、何とか踏みとどまりましたが…あぶない、あぶない。おじさん(店主)、漱石好きなの? それとも商売相手にそっち系の人が多いの? そんなことを考えていたものの、聞くことはできませんでした…シャイなので☆ ←え?

■2006.07.24 【身近な情報提供者/その2】
 先日、父がラジオで夏目漱石について聴いたという話をしてくれました。その番組では漱石の手紙(主に弟子に対するもの)をテーマにしていたようです。

 父「誰だっけ…みえ…」
 私「三重吉? 鈴木三重吉?」
 父「そうそう、その人が漱石についての長い手紙を書いたんだけど、漱石宛に出したわけではないんだってね」
 私「そう、それ有名な話だよ!」

 そんな調子で話に花を咲かせてしまいました。
 漱石宛の手紙は本人が処分してしまってもらっているわりに残っているものが少ないようですが(寅彦の手紙も燃しちゃうくらいだもの…っていうか先生に言われて小宮が燃やしたのもあるそうですけど…夏目先生…)、先生から弟子に宛てて書かれた手紙については、弟子どもが大切に保管していたので残っている確率が先生宛てのものよりも高いようです。(そのあたりちゃんと勉強していないので、どの程度残っているのか把握できていないのですが…。)
 ちなみに、その手紙に対する返事というのが傑作です。『漱石全集』の書簡編、明治38年9月11日の中川芳太郎(宛てではあるが鈴木三重吉)への手紙をぜひ読んでみてください。名調子! 長い! おかしい! 先生…先生…!(笑) 私は腹がよじれるほど笑ってしまいました(笑)。だいすき!
 あぁ、あんな手紙もらってみたいよ! 先生が夢にも思わないほど、頭脳をオキュパイしたり、神経衰弱にならなきゃもらえないのかもしれないけど…三重吉ずるい! いいなぁ、先生から手紙もらえて! (オキュパイ以前に先生故人でしょ。)
 えーと、手紙ってすばらしいものですね☆

 ところで、正岡子規の目は人相的に「鳳眼(ほうがん)」と呼ばれるもので博学の相だとか、沈着冷静で粘り強いとかいわれる相なのだそうですが、先日引退したサッカー選手の中田英寿さんがもしかして鳳眼というやつなのかしら、とふと思いました。私は人相判断に関して完全な素人なので間違っているかもしれませんが…。何となくそう思ったので、ここに書いておきます。

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