■寅彦帳 過去帳(7)■

■2007.04.23 【日本人の肖像】
 文献検索で何かとお世話になっている国立国会図書館のホームページがリニューアル。「近代日本人の肖像」(近代日本を代表する人物の肖像を紹介する電子展示会)も128人が新たに掲載! 夏目漱石や正岡子規、牧野富太郎も増えたよ! 簡単な紹介と、近代デジタルライブラリー収載の資料のリンクもあります。見ていて楽しいです。
 が、ちょっと不満も。夏目漱石の紹介文の最後「
門下には森田草平、小宮豊隆ら多くの作家、文学者がいる。」…ちょっと、寅彦は?! 寅彦はどうしたのよ〜! だいたいこういう紹介文の門下の筆頭には寅彦でしょ〜!! 納得いきません。
 寅彦の肖像を増やしてくれたら許す(笑)。

 国立国会図書館 http://www.ndl.go.jp/
 近代日本人の肖像 http://www.ndl.go.jp/portrait/index.html

■2007.04.01 【神保町散策】
 小石川後楽園は小石川植物園と同じかと思っていました。全然違いました。(寅彦の『団栗』の舞台は小石川植物園。)
 そんな調子で先週末友人らと小石川後楽園でしだれ桜を見て、神保町界隈をぶらついてきました。満足満足。土曜日に行ったので、ちゃんと古本屋が開いていました! ヤッタネ☆
 車庫のような場所で「
1冊500円、2冊でも500円、3冊でも500円」という叩き売り的なところがありました。もちろん3冊買いましたとも!! 『寺田寅彦全集』の書簡編1(2も欲しかったがなかった。最寄図書館にない発行年の)、『寺田寅彦集』(文学全集の1冊で、随筆あれこれ収録)、中谷の『続冬の華』(箱なし)。どれも状態がいいものではないのですが、縁あって我が家へ迎えることができて嬉しいです。ようこそ、ようこそ!
 友人が案内してくれたミステリ中心の小さな古書店で文庫本、内田百闥『漱石先生雑記帳』発見。寅彦のことも書いてあるよきゃっほ〜! ということで、こちらも購入。こういうのは縁ですから! いくら百閧ェ寅彦の印象があまりないとは言っていても寅彦のことが書いてあるということ自体が喜びですから! 結構な数のお店に入ったはずなのに、買ったのはこのくらいでした。本がいっぱいあるのを見るだけで満足しちゃうのよね…。
 友人が当地に詳しいということで、オススメの喫茶店に連れて行ってもらいました。ガトーショコラもコーヒーもおいしうございました。昼食のランチセットについてきたコーヒーもおいしく、調子に乗って1日に2杯飲んでしまったら、後で軽く酔いました。(コーヒーは飲めなくはないのですが、飲みすぎると酔ったような気分になります。私だけ?) 神保町はコーヒー(喫茶店)の本場だと思いました。自分の味覚に信用が置けないのですが、多分、おいしいと思いますよ!

 さて、いよいよ新学期です。今年はちょっと試験を受けることにしたので勉強せねばならんのですが、小さい頃から家で勉強したためしがなかったので、困惑しております。神様仏様寅彦様です。寅彦の頭脳が欲しい。(努力しろ。)

■2007.03.23 【松根東洋城著『薪水帖』(同文社/昭和17年)】
 長いこと、長いことかかってようやく『薪水帖』読了。ここ2〜3週間、毎晩のように読み続けてようやくですよ。読むのにこんなにも時間がかかったのは、10頁毎に睡魔に襲われたためです…。私が悪いのか、松根が悪いのか。(私だろ。)
 そもそもこの本には「寅彦君虎皮下」という、亡き寅彦想うた文章が載っているからと貸していただいていたのですが、せっかく借りたんだから一通り読んでおこうと思ったのが根源でした。「寅彦君虎皮下」は読んでいて恥しかった! こんな言葉を書いて公にする松根はすごいと思った! 「ラブレターかこれは!」と思った! その辺が松根ですか、もしかして。
 それはともかく、北軽井沢での寅彦の様子が一々伺えてうれしかったです。貸してくださってありがとうございました!

 『薪水帖』のタイトルにもなっている巻末に収録されている「薪水帖」がなかなか面白かったです。多分私はこういう記録的な文章を読むのが性に合っているのだと思います。朝昼晩食べたものが記録してあったのがとくに興味深かったです。昭和17年に出版された本なので、書いてあることは当然それ以前のことなのですが、パンばかり食べている日があったり、行商の魚屋で買い物したり、七輪で煮炊きをしたり、クサヤをたべたり、スープを作って卵を割りいれたら臭いがやばくて取り出そうと思ったけどやっぱりやめて草むらに捨ててしまったり、それを惜しい(食べ物もだけど作った労力と時間がそれ以上に)と思ったり、そういったのが面白かったです。
 他にも色々随筆があった中で、古文調で書かれているのが気に入りました。現代文で書かれている文章より読みやすいと思いました。松根ってもしかして頭が維新前の人ですか(※明治生まれ)。家柄とか、芭蕉の研究とか、そういったのが影響しているのかしら。不思議な人〜。

■2007.03.15 【『』】
 2007.01.08(過去帳6参照)に書いた中谷宇吉郎著『』(岩波文庫)ですが、滅多に行かないちょっと遠い場所の新古書店にて発見! 久々にあの本屋に行ったら何かありそうだという予感はザワザワとあったのですが、こういうのって霊感というか、何かの縁みたいなものを感じます〜♪ 3月も半ばだというのに関東では雪が降るかも、なんていっているからですかね。とにかくうれしいです。表紙(カバー)に雪の図が入っていて見た目もカワイイですし。
 それにしても、寅彦の本ではなく、中谷の本ばかりが増えていくような気が…。や、寅彦関係の本を全く買っていないというわけではないのですが、書籍というより灰色文献といった感じのもので…一般に流通しているような本は少ないんですよね。まぁ、いいか!

■2007.03.06 【ご無沙汰しております…。】
 気づけばもう3月! 月日の経つのはあっという間ですねぇ。
 ここのところ、よんどころない事情から本棚の整理を始めまして、それが一向に片付かず散らかった部屋で暮らし続けております。本といっても、ほとんどがマンガなのですが、本を移動させる→手に取った本をちょっとぱらぱら→そのまま読みふける→片付かない、というありがちな罠にはまっております。片付けたいのに片付かない。片付くわけがない。
 数年振りの本棚の大整理大会なのですが、持っていてもしまいこんでいると案外読まないものだなぁと思いました。ここ数年は割合と片付いた部屋で生活していたのですが、数年振りに本の山の谷間に布団を敷いて寝ている状態です。枕元に本があるというのはいかんですね。だらだら手を伸ばして読んでしまいます(主にマンガ)。
 そんなわけで、寅彦方面のお勉強は休止中です。

 ところで、ANAのCMで高知県立牧野植物園の映像が使われていてゴキゲンです。高知市街もちらり。路面電車も! やっぱり今年はトミー没後50年ですからね! 高知じゃイチオシってところでしょうか!
 そうそう、高知県立文学館の次回企画展は『夏目漱石―漱石山房の日々』展だそうですよ! ズルーイ! もちろん、
寺田寅彦と漱石のつながりも紹介するとのこと! ズルーイ! 平成19年4月8日〜5月20日、企画展示室(常設展込みで観覧料550円)、もし行くという方がいらっしゃいましたら、ご感想などお聞かせ下さいまし…。私は通販で図録を取り寄せるつもりです。こりない(笑)。
 高知県立文学館は、気合いが入った展示で見ごたえたっぷりですよ! 高知の文学といえば紀貫之の『土佐日記』から、というくらいだから、すごい歴史ですよ! 歴史的な話はわたくしさっぱりわからないのですが、とにかくすごいらしいですよ!
 1階閲覧室の漱石と寅彦の紹介ビデオ(10分程度)、もう、物凄く、すばらしいので、そこのところもぜひ! 私はキュンキュンきました。

 ところで、今回の高知旅行のお供は柴田宵曲著『明治の話題』(ちくま学芸文庫)でした。時代的に興味深い内容であること、各章が短く、待ち合わせや電車の中で読むのに都合がいいことなどの理由があったのですが、今年に入ってからネットでこの本を読んだという人を見て驚いているところです。しかも、それが1人じゃない! もしかして流行ってる…? 明治ブーム?!
 ちなみに、私は年末に東京に行った際、友達と何気なく入った本屋で見つけて即買い。文庫にしては安くない本なのですが(手にとってビックリ)、自分へのご褒美と東京土産ということで…(笑)。しかし、買ってよかったです! わりと寅彦の名前も出てくるし(期待していなかったのですが)。私が知らない「明治」という世界を宵曲は知っていて、歴史の教科書には出てこない、あれやこれやを幅広く語ってくれるような、見せてくれるような、おもしろい本です。おもちゃ箱や、宝石箱を覗くような気持ち。(個人的には宝石にはあまり興味がないので、絵具箱や何十色もの色鉛筆が入った箱やらを覗く方がわくわくするのですが…。)
 今、奥付を見たら「2006年12月10日 第1刷発行」となっていました。発行されてすぐに東京で買うことができたと思うと、ついにまついてしまいます。こういうのって、縁ですよね〜♪

■2007.02.21 【行ってきました! 高知】
 東京はどしゃ降りでしたが、飛行機でびゅんと飛んで高知に行ったら晴れていました。
 日曜市を覗いた後、牧野植物園に行って植物画をじっくりたっぷり堪能。来てよかった、高知! 大満足しつつゴキゲンな気分でバスに乗ったら、目的地とは逆方向の高知駅行きでした。あほか。
 そんなわけで、桂浜には行けませんでした。龍馬像も見られませんでした。ごめん、友達。仕方がないので、高知市民図書館(私の調べ物の道連れ)やら、古本屋探訪やら、市街散策やらに行くことになりました(無計画なので歩く歩く…)。ごめん、友達。何となく寄った「ひろめ市場」(高知の特産品、土産物の販売、食事処…屋台村のような雰囲気)では、高知の素顔を見てしまったような気がします。日曜の夕方5時にすっかりできあがっている人たちが…(もちろん外はまだ明るい)。ディープな観光スポット、ひろめ市場。(食べ物は安くておいしそうでした。)
 翌日は、寺田家墓地に友人を強制連行。今回はちゃんと神式の墓参りの方法を調べて行ったのですが、作法にばかり気をとられて心を込める余裕がなかったのが非常に残念です(本末転倒)。
 高知県立文学館はちゃんと開いてました!! やったー!!(わかる人にはわかるこの喜び)
 もちろん、グッズ(主に本)を買い込みましたさ! やったー!! 文学館、最高!
 その後、寺田寅彦記念館へ行き、土産物屋などを物色して帰路に着きました。1泊2日と短い時間ではありましたが、なかなか充実した時間でした。とにかく楽しかったです! ありがとう、友達…!

 ところで、寺田寅彦の血液型ですが、「不明」だそうです。
 文学館の学芸員さん(多分)によると、「(血液型についての)資料は見たことがない」とのこと。記念館でも聞いてみましたが、しらないそうです。寅彦の娘、関弥生さんがもしかすると知っていたかもしれませんが、残念ながら昨年お亡くなりに…。もし、ご存知の方がいらっしゃったら、どうぞ教えてください。
 今まで寅彦の血液型なんて気に留めたことがなかったのですが、わからないとなると気になりますねぇ…。何型…?

■2007.02.17 【チョコレートケーキって当時はあったのかな?】

 寅彦はチョコレート大歓迎だと思います。(バレンタインに乗り遅れるのなんて気にしない!)

 さて、明日高知に飛びます。楽しみ!

■2007.02.08 【小宮豊隆著『夏目漱石』(岩波書店/昭和13年)】
 数日前から重い腰を上げて読み始めた『夏目漱石』、何とか読み終わりました! 万歳!
 飛ばし読みの部分があることは秘密です☆ (秘密になってないし。)

 なんというか、ページ数がとにかく多くて大変でした。885頁って…! 885頁って…! 400頁読んでも、半分に満たない…! 読むのも大変ですが、書くのはもっと大変だったと思います。一朝一夕で書ける量ではありません。もう、「凄い」の一言だと思います。凄いよ、小宮…!(色んな意味で。)
 読後感ですが、小宮風に言えば「小宮豊隆は漱石を愛した。」という感じ(わかってください)。溢れるのは先生への愛…? 引用が多く、言い切りの形が多いのですが、これが小宮式でしょうか。論理的に書こうとする努力、みたいなものは感じられました。もし各章を全集の各巻の解説や月報の一部として読むのであればさほど苦労はしなかったように思うのですが、こうして1冊にまとめられるとボリュームにK.O.です。
 私は漱石の小説をほとんど読んでいないので(国語の図説のあらすじ紹介文程度の知識しかない)、小宮による小説の解説となると話についていけなくなるのが残念でした。いや、小説は何度か挑戦しているのですが…毎回数頁でギブアップ…漱石作品ファンの方すみません。
 そんな私ですが、小宮の『夏目漱石』を読みながら「おっ!」と思った部分もあったのですよ! 例えば以下の文章。(旧字体は改めています。)

 
勿論それまでの漱石といへども、渇仰と愛情とを寄せる弟子たちに、事を欠きはしなかつた。のみならず漱石は、その弟子たちの感激的な反応に鼓舞せられて、『猫』その他の作品を次ぎ次ぎに書いて行つたのだとも言へる位、それらの弟子たちを頼みにしてゐさへもした。然しこれらの弟子たちは、多くは、文学を専攻しようとする人ではなかつた。のみならずこれらの弟子たちは、どつちかと言へば、慎み深い、おとなしい人たちだつた。然るに明治三十八年(一九〇五)漱石が『猫』を書き出してから漱石の周囲に集つて来たもの(松根東洋城・森田草平・鈴木三重吉・野上豊一郎・小宮豊隆など)の多くは、文筆を以て立たうと志す者、さうでないまでも文学を専攻しようとする学生だつたのみならず、猛烈に自己の感情を漱石の上に浴びせかけ、殆んど異性に対する情合のやうなものをさへ、漱石に対して持つた弟子たちだつた。 (p.608)

 「殆んど異性に対する情合のやうなものをさへ、漱石に対して持つた」というのは何ともアレですね…言葉が見つかりませんが…えーと。まぁ、当時の弟子たちからしたら、そういう勢いがあったのでしょうけど。いわゆる「ラヴ」ということで、よろしいのでしょうか。異論がなければ、そういうことにしておきます(私の脳内で)。

 『猫』以前の弟子=どつちかと言へば、慎み深い、おとなしい人たち→寅彦もここに含まれていますよね…! 「第五高等学校」の章でも、「
この親しみと暖かみとが、あんとも名状出来ない力で人を惹きつけたからこそ、寺田寅彦のやうな、慎み深い、また人の厄介になる事の非常に嫌ひな人間が、漱石が熊本の内坪井にゐる時分、物置でもなんでもいいから書生に置いてくれろと、漱石にせがむやうな気持ちにもなつたのである。」(p.310)と、寅彦の人柄について「慎み深い」としてありますし!
 ところで、小宮は寅彦について「慎み深い」と、よく書いているような気がします。他の書物でも見たような…。しかし、「置いてくれろ」とは言うものかね…? 言葉遣いがちと違うような気が…。まぁ、こだわる部分ではないのですが。

■2007.02.04 【朝日新聞「天声人語」】
 友人から「今日(2007年2月4日朝刊)の朝日新聞の「天声人語」に寺田寅彦のことが出ていたよ」というメールをいただきました。ありがとう〜!! 寅彦寅彦うるさく言っていた甲斐がありましたよ!(迷惑)
 寅彦が作詞作曲した『三毛の墓』のエピソードと、現在の野良犬・猫の処分についてとが書かれているので、一概に「寅彦の全国的アピール、ヤッタネ!」と喜べません…。後味が悪いというか、複雑な心境というか…。新聞のコラムの問題提起的な文章って、実は以前からどうも苦手で、気分が悪くなることもあるのであまり読まないことにしていたのを思い出しました。
 まぁ、そういう個人的なことは置いといて、とりあえず寅彦の話題が全国紙に出たということをご報告させていただきました。

 ふと思い出した行き着けの古本屋のおやじさんとの会話2題。(忘れないようにメモ。)
○しおり
 ある日、古本を買いに行くと「よければ持っていきなよ」としおりを何種類か見せられた。地元にはない書店のしおりや、手作りの皮のもの、観光地で売られていたと思われる金メッキの金属製、などなど。売られた本の間にしおりなどがはさまっていることはままあることなのだそう。まだ中学生くらいだった私は、ものめずらしさから金属製のものをもらうことにした。
 ふと「おじさんだったらどのしおりを選びますか?」と聞くと、紙か皮のものがいいとのこと。「本にはさんだとき、金属のしおりだと滑って落ちてしまうことがあるんだよ。皮や紙だと滑ることがない。皮よりも紙の方が薄いから、本を傷めないし、それに手近にあるからよく使うねぇ。」
 当時は、素敵な細工の金属製のしおりがあるのに、どうして紙の方がいいなんて言うんだろう、と不思議でたまらなかったのだが、今はよくわかる。本を読んでいてはさむのは、紙のしおりがほとんどで、皮のもの、ましてや金属のものをはさむことはない。手近にあるということもあるが、結局のところ本にはさむのに一番都合がいいからである。

○辞書
 おやじさんの座っている場所(レジ)の後ろには売り物の辞書がぎっしりと並んでいる。私は昔から辞書というものが好きで(おそらく自分の乏しい知識を補ってくれるような、一種の安心感が得られるからだと思うが)、棚に並んだ国語、英語だけではない多種多様な辞書に憧れを抱いていたように思う。「色んな辞書があるんですねぇ」と言うと、そうだねぇ、と微笑んだ。「本には人類の知識や知恵が詰まっているからね」
 おやじさんも辞書が好きだと言っていたような気がするが、多分、辞書だけでなく書物はみんな好きなのだと思う。店には、お客に買われるのをはるかに超えた量の本が積んである。話によると、もっと沢山の本が倉庫にあるらしい。
 私が古い本や、辞書が好きだというのは、このおやじさんの影響を受けている部分があるように思う。

■2007.02.02 【「旅のしおり」はじめました。】
 旅行前恒例の、「旅のしおり」作りをはじめました。ノートに時刻表やら、行きたい場所の情報やらを貼ったり書いたりしたものです。小学校などの「修学旅行のしおり」のようなものですが、自分が見てわかればいいだけなので、大分ラフです。前回の高知・松山旅行前ももちろん作っていたのですが、行ったことがない場所だったので地図を見ても、時刻表を見ても、なかなかイメージできませんでした。それが今回はわかるわかる!! ここをこう歩いたらこのくらい、とか、このバスの路線はこうだから…、とか。たとえわからない部分があっても、前回みたいな不安がない! 一度でも行ったことがあるというのは、重要な経験なんだなぁと噛み締めているところです。
 あっちも見たい、こっちも行きたい、と、気づけばぎちぎちに予定を組み込もうとしています。同行者は大変だと思います。(知らないのをいいことに連れまわしてしまおうという魂胆。)
 天気に恵まれますように…!

■2007.01.31 【そうだ 高知、行こう。(再び)】
 2月中旬に高知に行くことになりました。今度は友達と二人旅です。一人旅じゃないのって、久しぶりです!(そこ、さみしいとか言わない!)
 友達がアレコレ手配してくれるそうです! 一人じゃないって楽…もとい、素敵なことね…! これから当分の間、高知旅行の予習に費やされるかと思います。むふふ。今度はちゃーんと、文学館の臨時休館日がないか調査済みですよ! 牧野植物園では富太郎没後50年の植物画の企画展開催ですよ! 前回見られなかったものを、今度こそ…! 今度こそ…!!(涙)
 前回は夜行に乗って高知松山2泊3日+車内2泊でしたが、今度は飛行機に乗って1泊2日です。飛行機速い! セットプランでお得! ありがとう友達…! もう、前回の旅行は「修行」としか思えない…。(それはそれでもちろん楽しかったですが。)
 とにかく、楽しみです。はしゃぎすぎですか。ええ、はしゃいでいますとも!

■2007.01.28 【
こんな事は何だかお話するのは恥しいのですが

 
こんな事は何だかお話するのは恥しいのですが、伊香保へ参りました時も、坂道へかかりますと寺田は大変疲れるらしいので、私が後から冗談に押して行つてやりました。さうすると、これは具合がいい、まるで平地を歩るくやうだといつて喜びました。しかし人が来ると恥かしがつてすぐやめます。私の方も恥しいので、人がゐなくなると又押してやるのでした。
 小林勇編『回想の寺田寅彦』(岩波書店) pp.27-26 「家庭に於ける寺田寅彦」より

 「家庭に於ける寺田寅彦」は「
御家族の方の談話を筆記しその校閲を経た」とのことですが、ほとんど3人目の妻、紳夫人の談話かと思われます。他の本で、悪妻だとか、結婚した当時はうまくいっていなかったとか(紳さんが個性的すぎるんじゃ…)、あまりよく書かれていないのを読んだのですが、この文章では晩年のほほえましい場面も語られています。
 冗談半分だとしても、坂道で後から押してやるというのは、なかなかユーモラスな人だと思います。人が来ると恥しがってやめる、というのが、古きよき日本的というか、さらにほほえましさが増すというか。かわいいじゃないの!!
 紳さんの茶目っ気のある行動については、『寺田寅彦全集』第3巻月報(1997)の関弥生著「母志ん子のノートによる寅彦像」にも書かれています。

■2007.01.27 【寺田寅彦[他]著『漱石俳句研究』(岩波書店)】
 今日は『漱石俳句研究』の県内唯一の所蔵があると思われる図書館に行って参りました。他の用事のついでといったらついでになるのかもしれませんが、限られた時間でばーっと読んで、ばりばりコピーをとって参りましたよ! 時間が迫っていたので、焦ってコピー用紙のサイズを選ばなかったらB5、A4、A3と、色んなサイズになってしまったのはご愛嬌ですよ!(ウッカリ)
 いや〜、楽しい本でした! 寅彦、小宮、東洋城の3人が、夏目先生の句についてアレコレ言い合う本なのですが、大真面目に好き勝手言い合っているのが面白い。中でも白眉なのが「
ふるひ寄せて白魚崩れんばかりなり」の小宮の評。以下引用します。

 
白魚といふものに対する非常にdelicateな心遣ひの出てゐるのが此の句である。(中略)其言葉は、単に白魚其者をよく写してゐるのみでなく、夫と同時に、其白魚に対する先生のloveを、非常に活活と表現してゐるのである。 (p.73)

 
loveですよ、love!! (その対象は白魚。)
 近所の図書館にあったら、借りてじっくり読みたいのに…! ないのが残念です…残念…。
 これから、コピー用紙のサイズを切ってそろえ、コピーした分をじっくり味わおうと思います。結構、在りし日の夏目先生の様子とか、子規のこととかも書いてあるのよね…むふふ。
 この本、岩波文庫とかで復刊されないかな〜と夢見ています。欲しい人、いっぱいいると思うよ! 作ってよ、岩波さん!! 今年漱石・子規生誕140年だから、お願い! (アホな発言ですみません。しかし、夢見るのはタダなので。)

■2007.01.26 【昔の『ホトトギス』】
 寅彦が昔の『ホトトギス』について、ビタミン豊富な読み物だった、みたいなことを書いている文章があったような気がしたので、探してみました。「明治三十二年頃」という文章でした。
 青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/24397_15387.html

 この文章で寅彦は、明治32年頃の『ホトトギス』について「
あの頃の自分にとっては実にこの上もなく面白い雑誌であった。」と書いています。また、当時の『ホトトギス』の雰囲気について以下のように書いています。

 ともかくもあの頃の『ホトトギス』には何となしに活々(いきいき)とした創成の喜びと云ったようなものが溢れこぼれていたような気がするのであるが、それは半分は読者の自分がまだ若かったためかもしれない。しかしそうばかりでもないかもしれない。食物に譬(たと)えれば栄養価は乏しくても豊富なるビタミンを含有していた。そうして他にはこれに代わるべき御馳走はほとんどなかった。

 ここの「ビタミン」という言葉が頭に残ってたのね…(笑)。

 日記や短文の募集に対して、時には寅彦も投稿しています。投稿し始めた頃について、「
自分の書いた文章が活字になったのは多分それが最初であったと思う。(中略)牛頓はニュートンと読むのであるが実に妙な名前をつけたものだと思う。もっとも二年生のとき牛頓祭という理科大学学生年中行事の幹事をさせられたので、それが頭にあったためかもしれない。」と、また「少なくも自分だけの場合について考えると、ずっと後に『ホトトギス』に書いた小品文などは、この頃の日記や短文の延長に過ぎないと思われる。」とも書いています。
 寅彦は「
自分等の年輩のものの自分勝手な見方ではあろうが」と断りつつ、「事によると明治維新後の俳句の真の黄金時代はかえって明治三十年代にあったのではないかという気もするのである。」とも書いています。

 明治32年といえば、帝大入学のため東京に出て、夏目先生の紹介で子規と初めて対面した年。前年(明治31年)に『ホトトギス』は発行所が松山から東京に移転したので、明治32年頃というとまさしく「創成期」にあたります。子規も存命、五校時代に漱石と出会い、俳句を詠むようになった寅彦にとって、それはそれは興味深い雑誌にちがいありません。よね?! ←同意を求める。
 後の随筆、俳諧のことを考えると、この「明治三十二年頃」の『ホトトギス』と出会ったということは、かなり重要なことだったのではないかと思います。漱石と出会わなかったら、子規と会うこともなかったのかもしれませんし、『ホトトギス』という雑誌を読んだり、投稿するようになったりすることもなかったかもしれない…、そう考えると、縁というのはつくづく不思議なものだと思わずにはいられません。
 寅彦が若き日を思い出す時は、自然と『ホトトギス』も思い出されたのではないかと思います。

 投稿するようになった頃について書いた文章はまだ他にもあると思うのですが、今日はひとまずこの辺で。

■2007.01.24 【買っちゃった!】
 図書館で相互貸借した本があまりにも素敵で手放したくなくなってしまったので、ネットで古本購入。小林勇編『回想の寺田寅彦』(岩波書店)ですよ! いやっほう!!
 借りていた本は昭和23年の第3刷、今回買ったのは昭和12年の初版・第1刷です。初版というものにこだわる性質ではないのですが、値段が手ごろだったのと、好奇心とで昭和12年のものを購入。これが大正解でした!!

 第一に、紙質が格段に違う! 太平洋戦争前後は紙が配給制で、質があまりよくないという話は聞いていたし、実際その頃の出版物を手にとることもあったのですが、同じ内容のものを比べると差は歴然! 昭和23年のが新聞紙とするならば、昭和12年の方は国語の教科書並、という感じがします。実際は昭和23年の方は、現在の新聞紙よりもずっと紙の質が悪いです。繊維が荒く手触りがもそもそして、まれに厚みが足りず透けている部分すらある…(もちろん、印刷されている文字は読み取れますが)。コピーをとるとしても、本がこわれてしまいそうでおっかないと思っていたのですが、買えてよかったです。
 第二に、口絵の寅彦自画像が昭和23年のものは白黒ですが、昭和12年の方はカラー!! これにはびっくりしましたよ! 借りてきて、白黒で判然としない部分があるなぁと思いつつ眺めていたのですが、買ってみたらカラー! あぁ、こういう絵だったのかと思ったり、白黒とカラーとでは表情も違って見えると思ったり(白黒の方は目元がどんよりして見えたのですが、カラーではだいぶすっきりした印象、ヒゲから口にかけて真っ黒だったのが、カラーでどこまでヒゲかどういう口もとかが判別できるようになりました)、嬉しい発見あれこれ。
 第三に、昭和12年の方にはp.134の次に寅彦の写真(散策中)が挿入されていてびっくり! 昭和23年の方にはない…。パラパラめくっていたら覚えのない場所に写真があって驚きました。何事かと…! 
 他にも装丁がしっかりしていたり、日焼けが傷があるもののちゃんと箱に入っていたりして、いい買い物をしたなぁと思いました。昭和14年当時の所有者(?)の署名が入っているのも面白い(笑)。ただ、昭和23年のものが全面的に悪い悪いとだけ思っているわけではありませんよ。戦後の混乱期に出版した労苦みたいなものが感じられて、これはこれで感慨深いものがあります。食べるものにも不自由している時代に、紙質は悪くても、口絵をカラーから白黒にしてでも、この本を出版しようとしたのだなぁと思うと、胸にせまるものがあります。しかし、それにしても刷が違うとこんなにも違うことがあるのか! と驚くばかりです。まだまだ修行がたりないな…。

 もちろん、内容的にも非常に面白い本ですよ! 家族(ほとんど紳夫人?)の談話を筆記した「家庭に於ける寺田寅彦」、学生時代の親友間崎純知の談話を筆記した「学生時代の寺田寅彦」(当時の学校のすさまじい様子が描かれている)、寅彦が亡くなるまでの2ヶ月強の期間、看護婦として診続けた飯田のぶこの談話と看護日誌「病床日誌」には寅彦が毎日何を食べたか、体温、脈、呼吸、薬剤などなどの記録、それからもちろん小林勇の文章も! 他にも盛りだくさん、みどころいっぱいの1冊です。グッジョブ、小林!

 ところで、この本の序の書き出し「
寺田さんは生前、小林君を大変に可愛がつた。」という一文を読んで、「え? 小宮?」と思ったら、確かに小宮豊隆の文章でした。段々、何かの感度が磨かれているような気がする今日この頃です。

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