■寅彦帳 過去帳(6)■
■2007.01.19 【苺】
使い慣れていないせいか、タブレットでのお絵描きは難しい…。種を描かないと柿みたい。
通販を申し込んでいた『露伴、茂吉、寅彦と小林勇展』の図録が届きました! 寅彦や中谷の写真も載っているので大喜びしながら眺めています。実際に展示を見に行ったらもっとたくさんの資料が直接見られたと思うと口惜しいのですが…仕方なし。
さて、展示を見にいったという方からのお便りをいただきました。ありがとうございます!
昭和10(1935)年11月30日付の小宮豊隆宛の小林勇書簡には「(寅彦が)いちごがたべたい、岡山の白桃のかんづめを求めているがないとのことで、すぐ私は銀座へ飛んでいちごと白桃のかんづめを求めてとどけました。熱心に探せば必ずあるものだとおもひます。」という文章があります(図録p.8)。また、同年12月3日付の小林勇宛、寺田寅彦(代理/紳夫人の代筆)書簡は、寅彦が苺のシャーベットまたはアイスクリームを食べたがっているが見つからない、心当たりはないか、という内容。小林は寅彦が12月31日に亡くなる前に、苺のシャーベットまたはアイスクリームを届けることができたのか、というご質問(?)をいただいたので、ちょっとまとめてみようと思います。
この経緯が書かれているのは、ゆまに書房『近代作家追悼文集成』第25巻(寺田寅彦)の小林勇著「御病室にて ―十一月三十日まで―」(pp.337-356)です。11月30日は小林が寅彦に面会した最後の日で、病床の寅彦とのやりとりが書かれています。以下引用。
お食事のことを伺ふと、「(中略)今一番待つてゐるのは苺だが、これもこの間から千疋屋など度々たづねさせるがまだ出ない。明日は十二月になるのだから、さうすると屹度出るだらうと思ふ。さうしたら、いくら高くたつて買つて食べようと思つて、この頃はその事許り考へてゐる。千疋屋でも出たら、すぐ知らせてくれると言つてゐる。」又「岡山の水蜜桃なども食べたいと思つて探して貰つたが、どこにもない。岡山の水蜜は實にうまいからね。仕方がないのでリビーの缶詰などを食べて見たが砂糖甘くて食べられない。」
苺を待ってゐることを繰返し言はれた。果物の中では一番好きなのが苺だ。あの色と香と味が第一だと言はれた。先生の御疲れになるのを恐れて私は名残惜しい心持を振り切つて辞し、その足で千疋屋へ自動車を走らせた。射るやうに苺を求めて店に入つて行つた私の眼に赤く苺の小さな箱が飛込んだ。それを求め、岡山白桃の缶詰を銀座で遂に探し出して運転手に持たせてお宅へ届けさせた。
先生とお話したのはこれが最後になつた。 (pp.354-355)
12月2日には、家で野菜の料理を作らせて夕飯に間に合うように届けさせ、12月4日の朝に届いていたのが前出の12月3日付の小林勇宛寺田寅彦(代理)書簡となります。
拝啓 昨日は大変結構なものを頂戴致し誠に有難うござゐました。然し何分にも病中の食味の倒錯にて充分がん味出来ず残念でしたが、御親切の志は大変有難う存じます。尚御親切に甘へて一つお願ひしたい事があります。夫は苺のシャーベット又は之が無ければ苺のアイスクリームが欲しくて、銀座辺を探して居りますが未だ見つかりません。一流のレストラン等ではもう出てゐるかもしれません。若し御心当があつてどこに有るかが解れば一寸御電話にて御知らせ願へれば大変有難く存じます。苺は千疋屋辺にもう出て居りますので家でつくつてつくれぬことも無いでせうが、到底満足なものは出来ぬと思ひます。
先は御礼並に御願まで 早ゝ
昭和十年十二月三日 寺田寅彦代理 (『寺田寅彦全集』第30巻(岩波書店/1999) p.321)
12月4日、手紙を読んだ小林について、「御病室にて」より再び引用。
その日の午後になって情ある人によつて漸く苺のシャーテツトを手に入れることが出来た。六日の日に又電話があつてこの間のシャーテツトはどこで手に入れたかを問はれ、急ぎ又作つて貰つて届けたのである。先生の口には今はかう言ふものが辛うじて通るのみかと考へると哀しいものがこみあげて来るのであつた。 (p.355)
『寺田寅彦全集』の書簡集を読んで、寅彦が食べたがった苺のシャーベットかアイスクリームを死ぬまでに口にすることができたのか気になっていたので、初めてこの文章を読んだとき、心からほっとした覚えがあります。寅彦、苺が食べられてよかったねぇ…。それから、グッジョブ、小林!! 苺調達も素晴らしいが、こういった文章を残してくれたことも素晴らしい!!
ところで、どうでもいいことかもしれませんが、戦前でも12月になると苺が売られていたということに驚きました。苺が冬でも供給されるようになったのは、高度経済成長よりも後の時代のことだと思っていたので…。
岩波書店の編集部員として寅彦と出会い、曙町の寺田家や研究室を度々訪問した小林勇。小林がどんなに寅彦のことを大切に思っていたか、この苺の話からも伺えると思います。寅彦もまた、小林を得がたい友人の一人と思っていたのではないかと想像しています。寅彦と小林のことについて、これからも注目していきたいと思います。
私は先生からむづかしい学問の話を伺つたこともない。まして学問について教へをうけたこともない。しかるに私は人生に於いて先生にお目にかゝれたことを最大の幸福の一つだと思つてゐる。 (p.356)
■2007.01.19 【NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』制作発表】
私は読んだことがないのですが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』がドラマ化されるそうです。2009年〜2011年に13回放送されるとか。正岡子規役は香川照之が演じるそうですが、ヒゲの生え方がなかなか子規っぽくていい感じだと思いました。Yahoo! JAPANのニュース(下記URLの記事)によると「正岡役の香川は「有名な横顔の肖像画に近づけるため減量する。限界にチャレンジしたい」と決死の覚悟。」とのこと。そう聞くと、なかなか楽しみであります。寅彦は…出るの? 出るの?(そこか。)
Yahoo! JAPAN http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070118-00000031-dal-ent
サンスポ http://www.sanspo.com/geino/top/gt200701/gt2007011905.html
朝日新聞 http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200701180309.html
日刊スポーツ http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20070119-144307.html
■2007.01.14 【愕然】
神奈川近代文学館で『露伴、茂吉、寅彦と小林勇展 一本の道 ある出版人の軌跡』なる企画展が行われていたそうです。今 日 ま で。ぎゃー。
そんな素敵企画があると知っていたら行ったのに〜! 行ったのに〜! と思ったものの、その事実を知ったのが今日でした。甘かった…甘すぎましたよ…昨年11月18日から開催されていたというのに…。まぁ、何だかんだで忙しい時期でしたから、知っていたとしてもいけなかったかもしれませんけど…(と、自分をなぐさめ中)。傷心をいやすため、図録の通販を申し込むことにしました。小林勇が絵を描くことは知っていたのですが(中谷宇吉郎と二人展を開いたくらいだし)、ネットでどんな絵か見てみたところ、今でいう「絵手紙」の絵のような味わいのある絵で、いい感じ。画集も出版されているとのことです。
それにしても、寅彦の画や小林宛書簡も展示されていた模様…み、見たかった…!
私の展示運の無さ(特に寅彦関連)について、高知・松山の旅行を経て気づかないでもなかったのですが、ここでも威力発揮ですよ!(そんな威力いらない。) しかし、見られなかったとなると、なおさら気になりますよ。これはもっと寅彦について勉強しろという天のお告げですかね?!…めげずに寅彦探索を続けたいと思います。とほほ。
冬青 小林勇のページ http://homepage3.nifty.com/tousei/ <小林勇の孫/小松美菜さんによるサイト
神奈川近代文学館 http://www.kanabun.or.jp/
■2007.01.08 【読書初め】
図書館の相互貸借で借りた本の期限がもうすぐ切れるので、あわてて読みましたよ『漱石 寅彦 三重吉』小宮豊隆著(岩波書店)! 年末年始は落ち着いて本を読む時間がとれなかったのですが、読まずにそのまま返却するのももったいないので、とにかく読みました。飛ばし読み、読んだことのある部分は省略、気になったところはコピー! そんなわけで、なんとか返却日に間に合いそうでよかったです!(読書初めと言っておきながら何てひどい読み方…。) 返すのが惜しい…っていうか欲しい。できれば近所の図書館の蔵書に加えて欲しい!(他力本願)
今まで小宮の、「漱石と寅彦」とか、「寅彦と小宮」とかに関する文章は読んできたのですが、そういえば「漱石と小宮」についてはあまり読んでなかったような気がします。ちょっと新鮮でした。
漱石がおしゃれが好きなのに比べて、寅彦はいい服を着たら汚しやしないか、破きはしないかと気が気じゃないといっていたというような文章が印象に残りました。多分、私も服に関して寅彦と同じように考えているからだと思います。いい服を着ると気持ちが落ち着かないのよね…。まぁ、寅彦はお坊ちゃんで、私は貧乏性というところが大きく違うのですが。
ところで、先日、小説を読むのが好きな友人と本について話をする機会がありました。その友人は夏目漱石の小説が好きで何度も読み返しているとのこと。漱石の小説にチャレンジする度に数ページで挫折している私は、どの辺がよいのか聞いてみました。友人曰く、「暗くて、登場人物の思考が保守的なところがよい」、また「日本語が読みやすくてよい」とのこと。主人公に感情移入して小説の世界に浸るのが好きなのだそうで、現代の小説よりも古い小説(保守的な思考パターン)の方が世界観をつかみやすく、感情移入しやすい、つまりより一層楽しめる、ということなのだそうです。なるほど、なるほど。
そういえば、私は小説を読むときに、登場人物に感情移入して楽しむ、ということをあまりしてこなかったような気がします。だから今まで特に小説を好んで読んでこなかったのかな、と思いました。「本を読む」ということが、幼い頃から「知識を得る」ためのものだったような気がします。今まで知らなかったことを知るということが、本を読む楽しみだったように思います。友人の小説の楽しみ方というのは、私にとって新鮮な観点でしたが、きっと真似することはできないと思います。(読書の楽しみ方が本質的に異なるので。) しかしながら、今までどうしてこの作品を読めなかったのだろうと、不思議に思っていたことの原因の一つがわかって、気分がすっきりしました。
本が好きだといっても人それぞれ嗜好が違うものですが、実際それについて話してみるとなかなか興味深いものです。
母が古本屋に行くというので、何となくついて行ったら、湯川秀樹著『心ゆたかに』(筑摩叢書)発見! ぱらぱらめくると「中谷さんの絵と私の短歌」「科学者の随筆」なるトキメキのタイトルが! そりゃあ買うよね!! 生誕100年だしね!! 母には「図書館にあるかもしれないじゃない」と言われたのですが、こういったのは勢いが肝心ですから!!
湯川秀樹はいわずと知れたノーベル物理学賞の物理学者なのですが、京大の出身なのですね〜。昭和15年に湯川が北大の特別講義に行ったものの、薄着のため急性肺炎になってしまい、その後中谷家で1ヶ月ほど療養することになって以来の友人関係だそうです。
以下同書より引用。
ある時、小宮豊隆さんが仙台におられた頃だったが、仙台で学会があった。中谷さんもきておられて、小宮さんが借りておられた広いお家で、二、三の方といっしょに夕食を御馳走になった。食後、いろんな話をした後で、中谷さんが例によって絵を画かれた。小宮さんはそれに俳句をいれておられたが、私も、二つ三つ短歌をいれた。(p.259)
え? 小宮も仲良しだったの?(気になる。)
食後の話って、寅彦についての話題も出たのかな〜、などと妄想しちゃったことは内緒です☆(←ばらしてるじゃん。)
■2007.01.08 【冬の華】
昨年の話になってしまうのですが、12月20日のNHK教育『視点・論点』(平日22:50〜23:00)という非常に硬派な番組に東京工業大学の芳賀 綏名誉教授が出演、「自然を見る・人間を見る」という演目でお話をしていました。別段見ようと思っていたわけではないのですが、先生が取り出したのが中谷宇吉郎著『雪』(岩波文庫)! おおお! と思い、そのままテレビに釘付けとなりました。(もちろん寅彦目当て。)
まず、“科学随筆の古典的名著”としての『雪』と、中谷宇吉郎についての話が出て期待が高まったところで、師である寺田寅彦についての話、最後に友人である湯川秀樹の話でまとめとなりました。さすがに夏目漱石の話まで及ぶことはなかったのですが(10分の番組だし)、期待していた寅彦登場に思わず膝を打ちましたよ!(笑) ひゃっほう! 寅彦や中谷の本が評価されるのは非常に嬉しいです。ありがとう芳賀先生!! 今でもどこかで読まれている本なのだと思うとにんまりしてしまいます。思わず翌日図書館で『雪』が収録されている『中谷宇吉郎集』第2巻(岩波書店)を借りて来たのですが、年末年始にバタバタしていたら読む時間がありませんでした…とほほ。私の住んでいる地域はほとんど雪が降らないのですが(およそ5年に1度くらいしか降らない)、冬の間に読んでみたいと思っています。
■2007.01.07 【生・没○年記念】
今年は陸羯南の没100年だそうですね! 仕事で 仕事で2007年の生誕○年記念とか、没後○年記念とかいうのを調べたので、気になった人物を挙げてみます。
・生誕100年 湯川秀樹、中原中也、井上靖
・生誕140年 夏目漱石、正岡子規、柳原極堂
・生誕300年 リンネ(分類学)
・没後50年 柳原極堂、牧野富太郎
・没後70年 河東碧梧桐
140年というのはキリが悪いですか…? 10年後は生誕150年! 今から楽しみです!(先が長いな…。)
それにしても、柳原極堂は生誕140年の没後50年! ダブル! 今年は極堂の年といったところでしょうか?
■2007.01.03 【新婚の年末年始】
あけましておめでとうございます。今年も『寅彦帳』をよろしくおねがいします。
さて、寅彦日記でも印象的なのが、2人目の妻・寛子(ゆたこ)と結婚した年の年末年始です。山田一郎著『寺田寅彦 妻たちの歳月』(岩波書店)に書かれている当時の様子をあらためて読んで、何だかにまついてしまいました。何といっても新婚ほやほや〜。読んでるこちらが恥ずかしくなるような…。
明治38年の大晦日に火燵で唱歌をうたったり、明けて39年の元旦には妻と女中がすごろく遊びをして負けた人におしろいを塗ったり、寅彦も塗られたり、国旗を盗まれたり。2日に今度は煎餅をかけてすごろくをして寛子が勝ったり、3日の朝は夏目先生が来たり、後日久しぶりに夏目先生を訪問したら「家を持つとそうも変るものか」と言われたり。それから「睦じき顔をならべて巨燵哉」の句! 甘々だな〜と思う一方で、先妻、夏子さんとのことがあるから、幸せになってよかったね〜、よかったね〜、と思います。
『寺田寅彦 妻たちの歳月』には寅彦の3人の妻のことが書かれているのですが、寅彦と中学時代に主席を争った仲だという堀見末子(まっす)との会話の場面が印象的でした。3人目の妻・紳(志ん)との結婚後、曙町を訪れたときのことです。以下引用。
彼の自伝(私家版)には寅彦との交流が詳しいが、新婚間もなくの寅彦を曙町に訪ねた興味深い話がある。それを要約してみる。寺田はかなり立派な家を新築していて、ピアノを弾いて聞かせてくれた。三度目に迎えた新しい細君を紹介し、「日本橋の商家の出だ」と言った。「細君は額の広い、落ち着いた賢そうな女だった」。(中略)彼(堀見)は土佐弁で「おんし(お主)は女房運が悪うて、おらは三代の奥さんに紹介された。今度の奥さんは丈夫そうで、落着いたよい方のようじゃねや」と褒めると、寅彦は「おんしがいう通りじゃ。体も丈夫で、商家の出に似合わず存外に理知的じゃ」と言った。(p.233)
土佐弁を話す寅彦というのが新・鮮…! 「おんし」…! 生涯土佐訛りがある話し方をしていたと何かの本で読んだように思うのですが、同郷の人と話をすると土佐弁だったのだろうなぁと思います。
それにしても、その、堀見の自伝とやらが見てみたい!!
■2006.12.31 【寅彦忌】
年末の慌しい毎日を送っていたら、あっという間に大晦日です。ギリギリになってしまいましたが(現在午後10時半)、今日は書かないわけにはいけません! 今日は寅彦忌、寅彦の命日です。昭和10(1935)年12月31日午後零時28分、転移性骨腫瘍で亡くなって71年となります。
没後70年という年に寅彦の作品と出会えたのは運命だとしか思えません!(こじつけ?) 寅彦の著書や関連書を読んだことも、、寅彦の故郷である高知まで旅したことも、新しい出会いに恵まれたことも、何かのめぐり合わせのような気がします。充実した、楽しい1年でした。感謝、感謝。
久しぶりに『橡の實』を開きました。目に付いた文章を以下引用(旧字はあらためました)。
自分の欠点を相当よく知つてゐる人はあるが、自分の本当の美点を知つてゐる人は滅多にないやうである。欠点は自覚することによつて改善されるが、美点は自覚することによつて損なはれ亡はれるせゐではないかと思はれる。(p.75)
…き、気をつけます、寅彦先生。
■2006.12.31 【銀ブラ】
先日東京へ遊びに出かけた際、思い切って銀座の東京風月堂の2階、喫茶室に入ってみました。外食といえば500円程度、1000円以上は勇気を出して、という金銭感覚の私にとって、清水の舞台から飛び降りるつもりで入店(大げさな)。だって紅茶が900円弱!(ポットに入ったもので、3〜4杯飲めましたが。) きっと、銀座界隈のマダムには大した金額ではないのでしょうが、私なんぞが入店していいものか気が気ではありませんでした。連れもいないし(笑)。
禁煙席をお願いしたら案内されたのが窓際! ドキドキしながら座り、雑誌で見た「スペシャルフレーズショート(苺ショート)」と「ロイヤルブレンド」の紅茶をたのみました(おのぼりさん)。窓の外を眺めると、夜の銀座を歩く人々と、たくさんの車が見えました。さらに、向かいの伊東屋(文具店)の1階のおそらくポストカードやグリーティング・カードの売り場には大勢の人がひしめきあっているのが見えたのがいかにも年末らしく、その隣のティファニーの店内の人のゆったりと歩く姿とは対照的でした。電飾はきらめき、何だか異世界に来たような気持ちになりました。(まぁ、田舎から出てきて都会の夜を見ているのだから、異世界なのだろうけど。)
ケーキは小ぶりながら美味で、上に飾ってある苺が1個だけではなく、2〜2.5個分くらいあるのに驚きました。苺好きの寅彦もきっと好きだろうと思いました。もちろん私も大好きですよ! 甘党の私の両親もきっと気に入るだろうと思いましたが、ちょっと高いのが…。絶対に「もっと大きいのがいい」って言われる…!(苦笑)
紅茶を飲みつつのんびり銀座の街並みを眺めていたら思い出したのが、寅彦が家族と大晦日に銀座へ行った話でした。手元に資料がないのでうろ覚えなのですが(後日確認せねば)、子供達と銀座で食事をした後、「お父さんの財布を探してごらん、宵越しの金は持たない! 好きなものを買ってあげる!」と言ったので、子供達が大喜びしたというような話です。(確か、亡くなる前年だったような…。)
寅彦が好きな銀ブラ、洋菓子、大晦日…あれこれ思い出していたら、何だか胸がいっぱいになってしまいました。
店を出た後、さらにブラブラ歩いていたら書店の前で復刻版の古地図を売っていました。以前、目白かどこかへ行った時、本屋の特設会場で同じようなものを見たことがあったのですが、当時は懐具合が悪く、あきらめたことがありました。係のおじさんは非常に丁寧に説明してくれました。ここで売っている地図の値段は紙が大きいほど高いとか…(笑)。今回はめでたく持ち合わせがあり、大正9年と昭和2年のものを購入。コンセプトは関東大震災前・後!!(重要!) 本当は明治40年のものとか、もっと沢山買いたかったのですが、そこまでは持ち合わせがなく断念。またご縁があることを願います。(まぁ、出版社に連絡すれば通販も可能だと言っていたのですが。)
その後、歌舞伎座へ。現在は正月初舞台に向けて舞台稽古の期間。大きな門松やら繭玉やらがおめでたい感じでした。
ぶらぶらと歩き続け、信号待ちでふと周りを見まわしたら古本屋を発見。雑誌のバックナンバーを1冊購入。明治の女学校を特集した雑誌で、マガレートという髪型の結い方が載っていたのが決め手(笑)。
寅彦のような思索の時間とは程遠いかもしれませんが、私にとって非常に充実した銀ブラでした。楽しかったです!
■2006.12.18 【おにぎりの具】
寅彦といえば甘党というように、自他ともに認める超甘党で、数々の伝説があります。「砂糖味のおにぎり」というのも有名な話なのですが…ここで、山田一郎著『寺田寅彦 妻たちの歳月』(岩波書店)より関東大震災後の寅彦の話を引用。
寅彦は朝早くから大学へ出かけ猛烈に働いていた。彼は志んの作った特製の大きな握り飯を持って出かける。梅干を中に入れるのではなく黒砂糖のかたまりを芯にし、周りには海苔でも塩でもなく、砂糖をたっぷりとまぶした握り飯である。彼は大の甘党で学生時代から生菓子に砂糖をかけて食べたという。(p.277)
ダブル…! ダブルですよ、砂糖が!! 恐るべし寺田寅彦。
ところで、「志ん」は寅彦の3人目の妻「紳(しん)」のこと。「戸籍は紳で、墓碑にも紳と刻まれている。本人はこの漢字の名を嫌がったそうで、自分では志ん、しんと書き、寅彦も日記に志ん、時にはしんと書いている。(同、p.225)」とのことです。
■2006.12.16 【手紙の小宮】
ご無沙汰しておりました。10月頃からアレやコレやで読書が進まない状況だったのですが、漸く一段落したので久しぶりの更新です。読む時間がなさそうだからと保留にしていた、図書館の相互貸借も今日申し込んできました。届くのは年明けになりそうとのことでしたが、非常に楽しみです。ちなみに寺田寅彦他著『漱石俳句研究』と、小宮豊隆著『漱石 寅彦 三重吉』の2冊です。借りたい本目白押し。
さて、『寺田寅彦全集』の書簡編に収録されている書簡で最も多いのが漱石門下の友人である小宮豊隆宛のもので700通以上あるとか。しかしながら、小宮が寅彦に宛てて書いた書簡は、戦災でノートその他の資料とともに焼失してしまったそうです。(もったいない!!) 小宮は「寅彦豊隆往復書簡文集」刊行を密かに企んでいたので、焼失の事実を知りご機嫌斜めだった、という話はあちこちで目にしていたのですが、続編を発見しました。太田文平著『寺田寅彦 人と芸術』(麗澤大学出版会)という本に、小宮の唯一の残存書簡と考えられるもののコピーの一部が掲載されています。明治42(1909)年7月13日付け、東京の小宮よりベルリン大学留学中の寅彦宛の書簡です。当時数えで寅彦32歳、小宮26歳です。以下、引用します。
(漱石門下の消息についての記述に続き)――こないだ先生のところで見た葉書に、あんまり勉強すると病気にでもなるといけないから用心しろとお友達があなたにいったとありましたね。あれを読んで心配しています。独逸は気候のわるいところと兼ねて聞いているから、余計に心配しています。……西の空の青桐の葉ごしに、あつい白雲がきらきらと光っている。からだの用心をなさい。私も用心する。いま午後三時です。かいてしまって、伯林はもう夜じゃないかと思った。(p.289)
図らずも、小宮の文面にキュンとなってしまった自分が悔しい(笑)。しかし、いい手紙だと思いました。男らしいじゃん、小宮! 特に「からだの用心をなさい。私も用心する。」の言葉が力強く、日本を離れてドイツで生活している寅彦の励ましとなり、慰めとなったのではないかと思います。(もし自分が受け取ったとしても嬉しく感じるような文面だと思う。) あぁ、全文が読みたい! どこかにないかしら…?
それにしても、私の読解力では太田が見ている小宮の書簡のコピーというものが、小宮の書簡(直筆)の原本をコピーしたものなのか、小宮の書簡を書き写すなどしたもののコピーなのか、書き写したものをさらに別紙に書き写したものなのか、そのあたりがわかりませんでした。(あと10回くらい読み返さないとだめかな…?) ちょっと気になります。
太田文平は寅彦研究をきっかけに小宮と交流をもった人のようです。だから、小宮を通じての寅彦関係のエピソードに強いと思われます。(まだ著作をたくさん読んでいないので、あくまでも印象なのですが。) 『寺田寅彦 妻たちの歳月』の山田一郎は高知の地縁に恵まれているのと、寅彦の子供達との交流があるということで、高知と寅彦、寅彦の親類に関して強いという印象。研究対象が同じ「寺田寅彦」でも、アプローチの仕方に違いがあって興味深いです。
ところで、岩波書店の『岩波茂雄への手紙』という本に、中谷宇吉郎の書簡が掲載されています。中谷の書簡というものを読んだのは、おそらく初めてだと思うのですが、その雰囲気が寅彦の文章(書簡)と似ていて驚きました。中谷の文字は寅彦の文字と似ている、という話も聞いたことがあるのですが、まさか文面まで似ているとは…。特に、了解を得ようとする文章というか、謝る言葉というか、その話の持って行き方が似ていると思います。この1通だけで、全部が全部似ているというのは甚だ乱暴なのですが、寅彦は中谷に対して、物理学だけでなく色々な影響を与えていたのだろうな、と思います。中谷の寅彦宛書簡についても、戦災で焼失してしまったそうなので、非常に残念です。戦争が憎い…!
どうでもいいことかもしれませんが、口絵の「雑誌『文学』の座談会を終えて」の写真、寅彦がかわいく撮れていて非常に嬉しいです。正面向いてるし! 1935年6月撮影ということは、亡くなる半年前の写真です。
■2006.11.10 【『ホトトギス』の一文字課題文章募集の寅彦の作品について】
岩波書店『寺田寅彦全集』(1996〜)の第17巻は、著作索引(五十音順)、著作目録(発表年順)、単行本目録、学術論文目録、年譜が収録されていて非常に便利な1冊です。(ということを、今日図書館で全集を片っ端からひっくり返して知りました…。)
雑誌『ホトトギス』で、漢字一文字を題材とした作文を募集していたそうなのですが、それに寅彦も応募し、時には掲載されていたとのこと。全集の著作目録より、ソレじゃないかと思われる作品(題名が漢字一文字のもの)をあげてみます。もしかすると、課題に応募したものではないかもしれませんが…。『ホトトギス』の本誌で調べたら確実かと思われますが、掲載されているのは古い雑誌なので探すのが大変かもしれません。もしかすると、大きめの図書館の中には復刻版を所蔵するところがあるかもしれません。
題名 『寺田寅彦全集』(1996〜)掲載巻/頁 発表年/月 『ホトトギス』掲載巻号 筆名 赤 12/307 明治32(1899)/5 第2巻8号 牛頓 星 1/29 明治32(1899)/10 第3巻1号 牛頓 祭 1/30 明治32(1899)/11 第3巻2号 牛頓 神 12/309 明治33(1900)/3 第3巻5号 牛頓 車 1/33 明治33(1900)/9 第3巻12号 牛頓 嵐 1/69 明治39(1906)/10 第10巻1号
と、いうわけで、全集の第1巻と12巻あたりを探せば見つかりそうです。あぁ、第17巻便利便利〜! 欲しくなっちゃった…(笑)。ちなみに、「牛頓」は「ニュートン」と読みます。理科大学の学生だったのが筆名の由来のようです。
〈追記〉課題モノは1年半で終わったので39年のは違うのではないか、というご指摘をいただきました。どうもありがとうございます! 著作目録によると、題名が漢字一文字の未発表のものもあります。「凩」(全集1巻p46/明治34(1901)年12月)、「嵐(草稿)」(全集17巻p17/明治35(1902)年)の2つです。一文字課題文章とは違うかもしれませんが、ご参考まで。
明治32年、寅彦は数え年で22歳。正岡子規と初めて面会した年。
明治33年、高知から妻夏子を呼び本郷で暮らしはじめるが、夏子が吐血した年。
明治35年、夏子死去。
発表年順に作品名が並ぶ著作目録を見ていると、こういった短文が『ホトトギス』に掲載されるようになり、明治38年の『団栗』『竜舌蘭』につながっていくんだな、という流れが見えてきます。寅彦の人生と、作品とを重ねるとさらに味わい深いというか…。若き日の寅彦にとって『ホトトギス』は、私が想像していた以上に重要な位置を占めていたのかもしれません。うまく言えないのですが、寅彦の人生でかなり重要な時期に、表現の場として『ホトトギス』があった。楽しみでもあり、救いでもあったのではないか、とも思います(憶測にすぎませんが)。文章を書くということ、紙面に掲載され、誰かに読まれるということ、そのおもしろさ。その後も文章を書き続け、発表し続けることで、結果として随筆家となったのではないか。『ホトトギス』がその下地をつくったのではないかと思います。…う〜ん、うまくまとまりません。
今までは寅彦の作品を目に付いたところからバラバラに読んでいたのですが、発表年順に読むのもおもしろそうだな、と思う今日この頃です。(2006.11.11)
■2006.11.06 【NHK教育『えいごであそぼ』】
どうでもいいことですが、NHK教育の幼児向け番組『えいごであそぼ』に登場するモッチが虚子に、ケボが壁梧桐に見えてなりません。っていうか、そのつもりで見ています。勝手にアテレコしてます。(松山弁をよく知らないのでいいかげんですが。) 今日は二人(?)でベースボール・キャップをかぶって「野球をしよう」なんて言っていました。もう…もう…!
ケボが6歳、モッチが3歳の設定だそうですが、壁梧桐と虚子の年の差は1歳、壁梧桐が年上です。(壁梧桐は明治6年、虚子は明治7年生まれ。)
以上、どうでもいい話でした。
■2006.11.06 【夏目先生にモエモエする会】
11月4日の夜に某所のチャットに参加させていただきました。楽しかったです〜! ありがとうございました! 知らないことがいっぱいで、もっと精進せねばと思いました。今後のヒントや課題がいっぱい。それにしても「夏目先生にモエモエする会」って…タイトルがすごい。まぁ、その通りの会でしたが…(笑)。
女性が苦手な夏目先生、ホモソーシャルな人間関係に関しても話題が及んだのですが、その後自分もほぼホモソーシャルな人間関係の中にいるということに気がついてしまいました…。夏目先生の周りは男ばっかだなぁと思っていたのですが、もしかして大したことじゃないのかな、むしろ明治・大正時代なんだから当然? と思うようになりました。自分は夏目先生ほど顕著ではないけれど(…ないと思うのですがが…←弱気)、同性の友人って気兼ねがいらないというか、気楽というか…男女平等といっても、男は男だし女は女だよな、とも。
最近は川島幸希著『英語教師 夏目漱石』(新潮選書)をぼつぼつ読み進めています。文豪・夏目漱石はすごい人だと思っていましたが、英語教師としてもすごかったということがわかって目からウロコです。寅彦が教員・夏目先生の指導を受ける様子や気持ちを理解するのに、一歩近づけたような気がします。夏目先生が偉い先生だっていうことがわかって嬉しい。個人的には文豪としてすごいよりも、教師としてすごい方がキュンキュンきますよ!!(笑)
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