■寅彦帳 過去帳(1)■

■2006.03.31 【子供向け漱石】

 実は図書館で『まんが偉人物語14 夏目漱石、ファーブル』を借りていました。子供にまみれてこっそり。アニメの偉人伝シリーズなのですが、22分で2本立て(ということは1作が10分強)。しかも漱石とファーブルが1本に。謎です。
 パッケージには「正岡子規との交流を通して文学を志し」的なことが書かれていたのですが、映像の中には子規のことなぞ一切描かれていませんでした。なんだよぅ、思わせぶりなパッケージして。(そんな記述に引かれて借りる人の方が少ないのか?)
 時代的には『猫』の前、学校の先生をしている頃(満36歳頃?)なのですが、ヒゲが灰色。ついでに、もみ上げが立派。絵柄にしても、声にしても、結構おっさんぽく描かれています。まだ若いのにぃ。キーワードは「江戸っ子」「生真面目」「滑稽」あたりだと思います。そして心のなかで「のびのびと自由に生きたい」と思う漱石。かなり誇張して描かれていると思うのですが、残念ながら夏目に関しての勉強が足りないので、どの辺が実際にあったことなのか、脚色なのか、創作なのか、判断に困ります。どうなのでしょうか。
 漱石の方の話のタイトルは「吾輩は犬である」。ふとしたきっかけでのら犬を飼うことになる漱石とその生活。川原に座り込んで犬に人生を語る漱石、犬と一緒に駆け回る漱石(イメージ)。これを見た少年少女の脳裏にはどんな漱石像が残るのでしょうか。

■2006.03.31 【にほんごであそぼ】
 NHK教育の子供向け番組『にほんごであそぼ』が好きで毎朝出勤前に見ているのですが、漱石の作品が登場することもあります。そうすると、朝から上機嫌。しかしそれが「
私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。」(『こころ』)だったりするのが微妙なところなのですが、それでも上機嫌です。ええ、今朝それを見たのです。ヤッタネ☆ (構成を変えつつ繰り返し放送されている感じなので、またこれを見ることもあるでしょう。それも楽しみ。)
 ちなみに、その次の番組『ピタゴラスイッチ』もお気に入りです。ピタゴラ装置に毎朝釘付け。

■2006.03.30 【森銑三PV】
 図書館で森爺(モリジイ)のプロモーションビデオを発見。やったぁ! 図書館ステキ! イカス! シビレルゥ!(はしゃぎすぎ。)
 『学問と情熱 第8巻 森銑三』(紀伊国屋書店)。森銑三の生涯を45分にまとめたステキなビデオです。ナレーションは野際陽子。サブタイトル「知は市井に在り」! いいぞ!
 彼について全然知らないくせに、馴れ馴れしく「モリジイ」呼ばわりしていたのですが、見た目が案外若々しかった(笑)。さらに人生についても、愛知から東京に出たり、帰ってきたり、別のところに行ったり、やっぱり東京に出たり、そういった感じで驚きました。もっと立派なあごひげとか生やした仙人的な爺さんで、東京の一隅に書物が部屋中に積んであるような部屋にこもって暮らしているような姿をイメージしていたので…。案外図書館派?(まぁ、書物を集めるとなるとお金がかかるから、そうならざるを得なかったのかもしれませんが。) そして、晩年も電車の中や東京駅の待合室でも驚異的な集中力で原稿を執筆するような人だったらしい。アグレッシブ・モリジイ! 立派な学歴はないものの、若い頃から図書館で古文書の分類をやったり、目録を作ったりして働きつつ、逸聞コラムを書いていたらしい。このビデオでいうには、「生涯を通して、読み、書くことを続けた」人なのだそうですが、そう聞くと、ますます親しみがわいてしまいます。モリジイの作品集とか、ちょっと読んでみたいかも…。やっぱりモリジイの『書物』読むべきなのかしら…。そうそう、モリジイのお友達、柴田宵曲についてもふれられていました。古俳句研究仲間ということで。

 ついでに、同シリーズの『安部能成』も借りてきました。(ついでかい。) 安部ファンの方、謡で鳴らしたという阿部の美声を聴くことができますぜ(講演の録音)。それにしても、ちょこちょこ漱石やら子規やらの写真が出てきて嬉しかったです。安部の親友だった藤原操(華厳の滝で自殺した一高生)のエピソードが出てきたもんだから、うっかり『名探偵 夏目漱石の事件簿』(楠木誠一郎著/KASAIDO BLUE BOOKS)を思い出しちゃいました。(この本はフィクション(探偵小説)ですが。)
 安部といえば、今まで漱石門下だということと、謡が得意だってことくらいしか知らなかったのですが、学習院大学などで大活躍していたんですねぇ。安部、ごめん。名前「よししげ」って読むことすら知らなかったよ…(勝手に音読み「のうせい」と読んでいました)。今度安部についても調べることにするから許して。いつになるかはわからないけど。
 ちなみに、このビデオシリーズ、第1巻が『南方熊楠』です。初っ端っから気合十分な雰囲気が伝わってくるような気がします。他にも『新渡戸稲造』とか『大宅壮一』とかもあります。シブイ! でも、寅彦のはないのよね…。次のシリーズを作るなら入れてくれないかなぁ。シリーズ名の『学問と情熱』にも合ってると思うのよね。入れて、入れて〜! そうしたら全国的な寅彦普及活動となり、図書館に寅彦旋風が…! そして寅彦の写真集刊行なんてことが…!!(地味な野望…というより妄想?)

■2006.03.30 【身近な情報提供者/その1】
 私が毎日毎日毎日寅彦の話をし続けているせいか、父の頭にも「寺田寅彦」という名前がインプットされたようで、先日寅彦情報をくれました。ありがとうパパ!(こういうときだけパパ呼ばわり。)

 父 「この間仕事中にラジオでもう退官した物理学者の話をやっていてね、その人の話もずいぶん面白くて(中略)。それにしても寺田寅彦ってすごいね、範囲が広いというか、何かしらにかかわっている感じだし、その考え方とか、与えた影響とか…」
 私(上機嫌) 「そうそう、そうなのよ! 身近な材料で面白い研究をするんだよ!(後略)」
 …………(寅彦の話色々)…………
 父 「でね、その人の奥さんが寺田寅彦の孫にあたるらしいんだよ。」
 私 「!!! だ、誰の子供?!」
 父 「そこまではちゃんと聞いていなかったけど、物理学者の奥さんにって、そういう縁があったらしい。」
 私 「え、その物理学者が孫弟子っていうわけではなくて、奥さんが寅彦の孫なわけ? 誰の子供かわからないの?」
 父 「うん、でも孫だって言ってた気がするな。」
 パパ、そこ重要なのにぃ!

 それはともかく、噂でも(未確認ですので)、寅彦の血を引く人が今も生きていると考えさせられて、感慨深かったです。同時に、こんな風に興味本位で書物を読み漁ったり、駄文を公開したりしているのが遺族の方に申し訳ないような…。でも、書いちゃうのですが。

■2006.03.30 【未解決事項】
 漱石関連用語として重要かと思われる「レトリック」とい単語がいまだに理解できません。国語辞典を引いてもわからない。英和辞典を引いてもわからない。国語力がないってこういうことなのね…。
 苦し紛れに一句詠める。
  はらはらと落ちる桜やレトリック
 …本当にわけがわからない。

■2006.03.30 【宇田道隆著 『寺田寅彦』 アテネ文庫(弘文堂)/その2/蛇足?】
 (寅彦の)
お母さんの亀さんは大正十五年八十四歳で亡くなつたが生前母堂に対する孝行振りは驚くほどで、お母さんのために得に日当たりのよい南向の隠居部屋をつくり、お心にかなうよう万事気を配り大事なことは何んでもお伺ひを立て許しを得てからという風だつた。(p.57)
 そこ! マザコンとか言わない! 親孝行の美談だから!
 ところで、嫁姑不仲説も…。(この場合、嫁は紳子さん。これについては現在研究中。)

■2006.03.29 【うさぎ】
 そういえば、この間横浜に行ったときに動物のかわいらしいイラストの入ったハンカチをもらう機会がありました。3つの柄から1つ選んでいいということで、見てみると「くま」「りす」「うさぎ」でした。私はうさぎをチョイス。夏目先生が卯年だから…(ミーハー)。「とら」柄があったら絶対そっちを選んだと思います。「ねこ」でもよし。そんなわけで、帰ってきてからそのハンカチをちらりと見てはにまついています。多少の落ち込みや疲労はこれで回復できそうです。まぁ、ゲンキンな性格ですこと(安い)。
 ちなみに、寅彦は寅年生まれです。みんな知ってるよね☆

■2006.03.29 【子寅写真】
 サイト日本近代文学館写真検索が楽しいです。「寺田寅彦」で検索をかけると寅彦の子供時代の写真が…! カ〜ワ〜イ〜イ〜!(当世風を気取った言い方をしてみました。) 数えで10歳前後、つやつや坊ちゃん刈り(?)にフロックコートですよ! 父上母上ともご一緒。ああ、かわいいなぁ。他にも寅彦の肖像写真として有名な感じの写真がいくらかあります。正二さん(次男)の撮影した寅彦の写真(昭和9年春)もあります。何だか顔がこけて見えるなぁ…病のせいだろうか。
 「漱石」で検索をかけると結構たくさんの写真が出てきます。鏡子さん(妻)の写真も出てきます。鏡子さんの肖像写真、明治28年、44年、大正7年とあって、ちょうど結婚前〜漱石亡き後までの変化が見られて興味深かったです。貫禄というか、迫力というか、立派になっていく感じ(ほめてます)。
 鏡子さんといえば、夏目房之介著『漱石の孫』(実業之日本社)の中に掲載されていた、夏目のロンドンからの手紙への返信が私の大のお気に入りです。どうもこういうのに弱いです。思い出しただけでにまにましてしまう…。文通ラブものマニアなので…(笑)。

■2006.03.28 【宇田道隆著 『寺田寅彦』 アテネ文庫(弘文堂)/その1】
 宇田道隆株急上昇中。この間まで名前すら知らなかったのですが…。
 宇田は関東大震災後の時代の寅彦門下。宇田は耳に残った寺田の言葉をノートに書きとめ自分の勉強の頼りにしていたそうで、本書では寅彦の残したそれらの言葉を踏まえつつ、恩師・寺田寅彦を追想しています。薄いわりに(文庫版60頁)充実した内容。いいぞ、宇田! よくやった、宇田!(宇田宇田呼び捨てにしていますが海洋学の権威なのだそうです。本書(昭和23年発行)掲載の略歴だけでも昭和17年に神戸海洋気象台長、昭和22年に長崎海洋気象台長兼長崎測候所長に歴任。故人です。) 図書館の本だけど、ほ…ほしい…(笑)。数々の寅彦の言葉の中から、私の気に入った言葉を引用させていただきます。ええ、返却後もこれを見て噛みしめ味わうつもりですとも。ええ、自分用の自分が楽しむためのメモですとも。引用するにあたって旧字体は改めました(変換が大変なので)。
「(青字)」内は寺田の言葉、それ以外(青字)は宇田によるものです。

 「世の中につまらぬなどというものはない。つまらぬと云うのはつまるように出来ない人のいうことです。学問に成功するのは頭の良し悪しではない。学問を敬愛する人です。」(p.14)「少し位の才気や学問は、忠実に根気よくやる人にはかないません。」(p.40)

 「風流はFree(
フリー/自由)、Frei(フライ/自由)に通ずる。心の自由度が大きいことだ。悟りは心の自由な天地だ。科学者も芸術かも同じ物の真を求める。物事にコダワラナイことが心の自由だ。」(p.24)

 
(ペンネームについて)「僕が吉村冬彦という筆名を使って文を書くというので、僕を寺田寅彦と吉村冬彦の二重人格だと云う人があるが、そう言う人こそ五重人格さ。本名と雅号は例えば着物のようなものだ。大礼服を着て湯屋に行く人はあるまい。又宮中へ浴衣では行きはすまい。着物はその時々で都合のよいように着かえるが、中身はいつも同じだ。吉村冬彦というのは、寺田の旧姓の吉村家に冬生れた男という意味さ。木螺山人の由来は蓑虫ということだ。照元(テルモト)學人と書いたのは Terremoto=地震という意味のイタリア語からだ。」(p.31)

 先生は実験室や応接室で雑談的な座談で気焔を上げられ、少数の人々の手をとつての寺子屋式教育を好まれ、「寺田小学校」などと御自身冗談混りに云つておられた。「教育は寺子屋式がよい。お菓子でも喰いながら授業する。お茶でものんで呑気に談笑の中にやる。そして君ここまで読んで来たまえと指名してやる。」といはれたものである。又「口頭試問をすると実力が一番はつきりわかる。ことにオリジナルな考え方をする人がわかる。」ともいはれた。
(p.34)

 「人にはどんな馬鹿でも、悪人でも、必ず一つ位はいい所があるから、他人の悪い所ばかり見てけなしたり、嫌がつてはいけない。」「醜い女といつても決して一から十まで皆醜いということは少く何かしら何処かに美の要素
(エレメント)はあるものだ。」(p.39)

 「死んだ後にもう一ぺん生き返つて子供になれると仮定したらどうだろうという話をする。自分はもう人生は一度で沢山だと思う。もっとも死にたくはない。死なないのもつまらない。」(p.46)

 先生の甘いもの好きは昔から有名であつたが、これが歯を悪くし、胃病の原因となつたのは間ちがいない。御飯にも砂糖をかけるほどだつた。煙草も特別好きで風呂へも厠へも必ず紙巻をくわえて行かれるくらいであつた。お風呂も大へんお好きで毎晩欠かさなかつた。(pp.58-59)

 …言われてますぜ、先生(笑)。寅彦、ちゃんと歯は磨いたの?
 このまま寅彦語録を集めていったら、寅彦語録日めくりカレンダーが作れそうな気がします。誰か作ってくれないかなぁ…(他力本願)。モチロン9月1日は「天災は忘れた頃来る」でしょ。ちなみにこの言葉は、中谷宇吉郎が寅彦の言葉として引用したものの、後で調べたら実際にはその通りの言葉が出ている寅彦の著作が見当たらなかったらしいが、気づいたらこの言葉がひとり歩きして広まっていたらしい。「天災と国防」(→青空文庫版)の中に、同じ内容のことが少し違った表現で出ていた、とのこと。中谷曰く「
もともとこの言葉は、書かれたものには残っていないが、寅彦の言葉にはちがいないのであるから、別に嘘をいったわけではない。(中略)これは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。」(引用:『中谷宇吉郎集 第八巻』(岩波書店)収録 「天災は忘れた頃来る」より)。中谷の思い込みだったとはいえ、短く覚えやすくまとめて発表した功績はあると思います。だから今でも親しまれている格言なのでしょう。寅彦の言葉として残されているのも高得点。それにしても、結構新しい言葉だったんですね。閑話休題。

 まるで恋人の家に通うように夏目先生の家を訪ね、先生に会うと気持ちがすっきりとしたという寅彦。まるで恋人の家に通うように寺田先生の家を訪ね、先生に会うと気持ちがすっきりとしたという宇田。歴史は繰り返す…。

■2006.03.27 【神奈川近代文学館】
 先日横浜に用事があったので、早めに家を出て待ち合わせ時間の前に神奈川近代文学館に行ってまいりました。だって漱石の遺品が展示されているんですもの! 現在『「文学の森へ 神奈川と作家たち」展 第1部 夏目漱石から萩原朔太郎まで』開催中ですもの! 張り切って開館時間の9時半に到着するように電車に乗りましたとも! 張り切ったわりに、グズグズしていたら出掛ける時間になってしまい朝食を食べずに出発。春とはいっても電車を降りてから寒さが身にしみ、エネルギーを充填すべく元町のパン屋に寄り、港の見える丘公園で朝食。いきなりカレーパン。だ…だって食べたかったんだもん…。おいしそうだったんだもん…。(おいしかったです。)

 さて、腹ごしらえをして落ち着いたところで神奈川近代文学館へ。一番の目的だった漱石の遺品の数々を間近に見ることができて感激しました。先端が欠けた際寅彦が削って形を整えなおした象牙のブックナイフもちゃんと展示されていました。解説ペーパーにもちゃんと寅彦の名前とそのエピソード記載。好好。夏目先生の直筆書簡、絵画、身の回りの品々等、目に焼き付けるべくじっくり観察していたつもりだったのですが、後で解説ペーパーを見直したら記憶から抜けている品も…。観察力ないなぁ。夏目先生はこの机の前に座って…ということよりも、その前に寅彦が座って…とか、この棚から本を借りていたりして…とか、この文具を使って寅彦にも手紙を書いていたのかな…とか、そういったことを想像していました。ええ、妄想ですとも。

 「文学の森へ〜」の展示は、予想よりも漱石の展示が多くて嬉しかったです。(入館料250円だし、ガイドブックの参考所要時間が20分だったのでそれほど期待していませんでした。) 何がびっくりって、デスマスクですよ! デスマスク!! まさかお目にかかれるとは…! 実在の人物とはいっても、歴史上の人物で、私の中では半分フィクションのような存在だったのですが、デスマスクを前にして「本当に生きていたんだ」という強烈な実感を覚えました。ガラスケースの中に展示されているのですが、手をのばして先生の肌に触れることができたような、そんな実感です。それから、弟子たちは臨終の席でこの顔を見ていたのだな、と思うと何だか不思議な気分でした。あと、わりと正面からの写真の多い夏目先生の顔を横から下から見ることができて興味深かったです。行ってよかった!

 帰りに売店で夏目グッズ(漱石山房原稿用箋、猫の一筆箋、漱石画『書斎図』絵葉書、岡本一平画『漱石先生』絵葉書)を購入。図録も買ったのですが…『泉鏡花展―水の迷宮―』。漱石とはほとんど関係ない上に、今まであまり鏡花に興味を持ったこともなかったのですが、展示されていた鏡花の自筆原稿を見てその字が気に入ったため購入。特に、ペンよりも筆の字、書簡のややくずれた字よりも原稿の整った字がどうも気になって、その場で別れるのが寂しいというか、買って帰らないと後悔しそうな気がしました。筆で書かれた細い線の文字に神経質で潔癖な印象が深まりました。美しいとか整っているとか、そういったところではなく、この人の書く字の形が自分の好みの字体なのだと思います。真似して書いてみたい感じ。(真似できるほど神経が細かくなく、がさつなので無理があるのですが。)

 字といえば、高浜虚子の展示のところに河東碧梧桐の書も展示されていました。彼の書は図説や写真でいくらか見てどういった雰囲気なのかは知っていたつもりだったのですが、実際に見てその存在感に圧倒されました。達筆というものとはちょっとちがうのでしょうが、独特の線というか、間というか、彼の詠む歌とこの書が一体となって視覚にうったえてくるようなパワーを感じました。家でぬくぬく写真を見て満足するでなく、ちゃんと実物を見なければいかんなぁと痛感。
 蛇足になりますが、どうやら私は漱石を基準と考えてしまっているようで、「虚子=漱石より年下=子供」みたいな思い込みがあるようです。虚子の展示を見ている最中ずっと、「まぁ、清ちゃん(きよし=虚子の本名)こんなに大きく写真を展示されるなんて、立派になっちゃって」とか、「あらあら、こんなにしっかりした説明文を用意してもらってよかったわねぇ」とか、すっかりおばさん視点に…。そんな風に見られたら虚子も迷惑だと思う…。でも、つい…。それにしても、虚子、かわいい顔してるなぁ。お顔がつるりとした感じで。

■2006.03.27 【高浜虚子著 『回想 子規・漱石』 岩波文庫】
 同書収録の「漱石氏と私」の方を目当てに借りてきたのですが、子規についての「子規居士と余」の方が面白かったです。虚子は漱石よりも子規との関係が深かったから、子規のいる情景も生き生き描けたのであろうと推測。写生、写生というだけあって、描かれている場面が容易に頭に浮かべられたように感じました。それだけに、学校入ったり辞めたりまた入ったりのプラプラコンビ(虚子&碧梧桐)も目に浮かぶようで、どうしょもねぇなぁと思わずにはいられない…(苦笑)。子規にも「
どちらが悪いという事もあるまいが、要するに二人一緒になるという事がいけないのである。」と言われちゃってるし。
 さて、子規の臨終に際しての虚子の句「
子規逝くや十七日の月明に」について、今まで「そのまんまじゃん!」と思っていたのですが、「子規居士と余」を読みつつこの句に出会うと、まったく違った印象を受けました。単語の集まりというのではなく、ぽっかりと空いた喪失感というか、からりとした哀しみとか、明るすぎるくらいの月明かりとか、天上に向かう子規の魂とか…。それらの意味や感情を込めて詠んだというよりは、濾過して、蒸留して、精製されたスピリッツがこの淡々とした十七音なのではないか、という印象を受けました。(説明になってませんか。) 虚子、ありがとうね、となんとなく思いました。でも、虚子は子規に色々面倒かけてると思う…。(子規やその周辺については全くの不案内なので、あくまでもこの本を読んだ印象だけなのですが。)

 漱石に関しては、宮島に行くエピソードがお気に入りです。初めて宮島に行く漱石とそれに同行した虚子、宮島までの船旅(4、5時間)、一等の切符を買って得意になるの巻。以下引用。

 
「僕は失敬だがこちらに寐ますよ。」と言って(漱石は)棚の方の寐台に上った。そうすると上の方にあるのだからその棚の方の寐台がえらいのかなと思いながら私は下の方の寐台に這い込んだ。上であろうが下であろうがこんな寐台のようなものの中で寐たのは初めてであったので、私はその雪白の布(きれ)が私の身体を包むのを見るにつけ大(おおい)に愉快だと思った。そこで下から声をかけて、
 「愉快ですねえ。」と言った。漱石氏も上から、
 「フフフフ愉快ですねえ。」と答えた。私はまた下から、
 「洋行でもしているようですねえ。」と言った。漱石氏はまた上から、
 「そうですねえ。」と答えた。二人はよほど得意であったのである。

 あんたら、かわいすぎるよ…! 明治の青年はみんなこうなの?!(偏見です。)
 漱石は虚子よりも年上だからとか、えらいとか、そういうことではなく、単に上の寝台で寝てみたかっただけだと思います。浮かれてるんだと思います。あくまでも私的なイメージですが。

■2006.03.27 【クドカン的夏目】
 「的」は中国語読み「de」でよろしく。

 クドカンで昼ドラで夏目漱石という想像がつかない世界が現実に展開されてしまう模様です。私の妄想の世界ではなく、現実に、ですよ!
 TBS愛の劇場「吾輩は主婦である」(5月22日スタート、月〜金曜午後1時〜/脚本:宮藤官九郎 主演:斉藤由貴、及川光博) 主婦に夏目漱石が乗り移る奇想天外なホームコメディ…らしいです。ご参考まで。
 TBS http://www.tbs.co.jp/program/syufudearu.html
 日刊スポーツ http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-060314-0012.html
 もしかして、夏目ブーム到来?! ちょうど没後90年だし! 来年は生誕140年だし!(どっちもキリはいいかもしれないけど、微妙な数字…? 10年後はきっと大ブーム到来!…のはず。) それにしても、どの程度夏目ワールドが展開されるのかしら…。寅彦的な登場人物は出るのかしら…。←ここ、重要。

■2006.03.26 【私信返信】
 一、
 此の度メーリーゴーラウンド情報御便り下され、難有拝見致候。御教授頂いた資料は見付次第研究する心算に御座候。小生知識甚だ至らず恥入り候。併し机上に本を積上げぼつぼつ読む事、甚だ愉快に候。今後も宜敷御指導被下度存候。
 二、
 御便り拝見、甚だ恐縮に存候。「寅彦帳」御覧被下候由難有候。小生遠慮なく寅彦の話が出来嬉しく存候。幕末土佐、寺田利正、寺田家系譜は今後の研究課題と興味を感じ申候。併し小生幕末に苦手意識有之、勉強の捗らぬ事想像致候。気長に御付合い願い度存候。

 以上候文の練習がてらの返信故、まだまだおかしな文面と存居候。不悪御推読願上候。時候柄御自愛専一に願奉候。

■2006.03.26 【書簡サイコー! (副題:小宮宛の書簡がおかしい件)】
 あれやこれや書きたいことは山ほどあるのですが、準備中なので先に私の大好きな書簡を紹介させていただきたいと思います。これを読めば、あなたも『寺田寅彦全集』(岩波書店)を読みたくなる。はず。

 大正9年10月8日 寺田寅彦の小宮豊隆宛書簡(はがき2葉)より
    変体詩 其一
 歯ぐきが脹れて耳が鳴る
 網膜の上をデカルトの渦が躍り廻る
 冷たい物質と物質が
 熱い血の中を喰ひ合つて居る
 歯ぐきでも耳でも胃袋でも
 歯ぐきよ胃袋よさようなら
 空腹の生んだ科学も
 性慾の生んだ芸術も
 さようならさようなら
 米と塩はあるかい
 それでいゝさようなら   Alles pech! Alles pech!

   変体詩 其二
 鶏頭が倒れかゝつて居る
 起こしてくれ、おれは歯が痛い
 蜻蛉
(*とんぼ:蛉は虫に廷)の群れが
 夥しい蜻蛉
(*)の群れが
 隊を立てゝ飛んで居る
 蜻蛉
(*)
 少しじつとして居てくれ
 おれは今歯が痛い
                 十月八日作 フズドールスキー  
(以上はがき一)

   変体詩 其三
 林檎が棚からおつこつた
 星の欠けらを一寸なめた
  オムレツカツレツガーランデン
  カントにヘーゲル、アインシュタイン
 みゝずの眼玉は見付けたが
 碧い瞳に一寸ほれた
  フアウスト、ハムレット、バーベリオン
  ドンナーウェターパラプリユイ
     ――――――――――――――――――――――――――――
 ひとりでにこんなものが出来ましたから御笑草に御目にかけます。弱陽性といふのが案外持続してとれないで居ます。もうそろ/\よくなるでしやう。
   十月八日
 今計って見たら七度八分ある、多分歯齦
(はぐき)の熱でしやう。
 此んな事ばかり書いて強いて憐みを乞ひたくはないがし方ない。やつぱり黙って居るのは苦しいから許してくれ玉へ  
(以上はがき二)

 歯医者に行け。
 それにしても大正9年とは思えない斬新な詩だと思いました。
  其一→ラップ
  其二→ハードロック
  其三→ヘビメタ っぽいと思いました。熱い想いが詩にぶつけられている…!
 その熱い想いってのは「歯が痛い」って事に他ならないのだけど…ただ熱に浮かされているだけ? 歯が痛すぎただけ? ダダイズムか何かなのでしょうか? でもやっぱり歯が痛いだけなんだろうなぁ。思考が歯痛に支配されている感じ。「ひとりでにこんなものが出来」たって言ってるし。しかもはがき2枚分。これだけの文字が書かれているってことは、結構小さい字ではないかと推測。多分、1枚に納まらなくて(文字も気持ちも)、もう1枚続けて書いたのだと推測。そんなこと書いている時間があったら歯医者に行け。寅彦…大人なんだからさ…(数えで43歳)。まぁ、さすが後厄なだけあって12月に吐血、東大病院に入院しちゃってるんですが。
 謎な「
Alles pech!」について、ドイツ語かと推測してネットの自動翻訳にかけてみました。「すべてを投げる!」…? 推測に推測を重ねることになってしまうのですが、もしかして「お手上げ」ってこと…? 「pech」だけだと「ピッチ」だって…? 「全力投球」…? 語学力がないとこういう場面で困ります。寅彦は小宮に全文ドイツ語(推測)の手紙も送っています。誰か解読して〜そして私に教えて〜(他力本願)。

■2006.03.22 【嗚呼憧れの地、高知】
 今旅行に行きたい場所といったら高知ですよ、高知! 寅彦は土佐出身。寅彦の家を復元した建物(記念館)や、高知県立文学館には寺田寅彦記念室が! 直筆原稿が! 夏目先生あての直筆書簡が! 妻宛書簡が! 関係図が! ホームページの字面を眺めるだけで垂涎ものです。妄想は膨らみまくりです。高知には寅彦グッズがあふれているに違いない! 京都にあふれている新撰組グッズ並に、高知には寅彦グッズが!!
 …と、友達に大いに語ってみたところ、笑われてしまいました。私もおかしいと思う。でもありそうな気がしてなりません。だって寅彦の出身地だもの。寅彦亡き後に親族が染めて配ったという寅彦の「好きなもの〜」の句と苺の画の風呂敷のレプリカとかないかしら。風呂敷がなければ、ハンカチでもいいの…。あと、寅彦写真集とか。(夢見すぎですか。)
 友達に電話をかけて一方的に寅彦の話をするという、迷惑極まりない行為を確信犯的に繰り返しつつ、竜馬だよ〜、四国だよ〜、きっとうどんがおいしいよ〜、カツオもおいしいよ〜とそれとなくナンパしていたところ、「交通費が安い経路は?」と聞かれました。いい感触?! 電話の後であわててネットを検索してみましたが、今回のように高知に行きたいなんて生まれてこの方考えたこともなかったので、地名がさっぱりわかりません。どのくらいの時間がかかるのかも想像がつかないので、どの程度の日数が必要なのかも想像できません。それにしても高知の人はどのような知恵を絞って安く東京方面に出てくるのかしら。しばらく時刻表やらガイドブックやらに熱中しそうです。
 あぁ、記念室、宇吉郎宛の書簡もあるのか〜。いいなぁ。小宮宛の書簡もないかな。面白いやつの。宇吉郎宛の書簡も面白いのですが、小宮宛のはかなりくだけた内容で面白いです。むしろおかしいです。皆さんにも是非ご一読願いたい。
 ところで、歴史好きで高知といったらやっぱり坂本竜馬ですか? もしかして、高知にあふれているのは竜馬グッズですか?

■2006.03.21 【寺田寅彦著 「茶わんの湯」】
 「茶わんの湯」寺田寅彦著 →青空文庫版
 雑誌『赤い鳥』に変名「八條年也」で掲載。児童向きの科学教育的文章。

 「「茶碗の湯」のことなど」中谷宇吉郎著 『中谷宇吉郎集 第四巻』 岩波書店
 「茶わんの湯」について大人向き解説と寅彦追憶。要約すると、「寅彦…恐ろしい子…!(「ガラスの仮面」調で)」みたいな感じ?(違う)
 この巻にはほかにも寅彦関連で「寺田先生の追憶」「札幌における寺田先生」収録。口絵の写真「理研にて」(1927年)中谷の若い頃(研究室、白衣)。きゃ〜、若い! かわいい!

■2006.03.20 【『近代作家追悼文集成[25] 寺田寅彦』 ゆまに書房/その2】
 
寺田さんが(明治)四十四年に帰朝した時だかに、皆で浅草へ出かけることになり、夏目先生も一緒に六区でメーリーゴーラウンドに乗り廻ったりして一日遊んだといふこともあつた。(引用:同書収録 安部能成著「寺田さん」)
 夏目先生も乗ったの?! 寅彦も?! ねぇ、乗ったの?!(膨らむ妄想。)
 安部も誘われたそうですが、当時は寅彦と面識がなかったから行かなかったらしい。行けばよかったのに。行って一緒にメーリーゴーラウンドに乗っちゃえばよかったのに。そして詳細を書いて残してくれればよかったのに。←そこか。

■2006.03.21 【明治37年9月30日 書簡(はがき) 夏目金之助より寺田寅彦へ】
 
大変な事が出来たといひながら大変な事を話さずに帰るのはひどい

 誰もが、「何? 何があったの?!」と思うところだと思います。自筆水彩画のはがきに文章これだけ。気になる…。一体何が大変だったんだろう…。大変だというわりに話さずに帰ってしまったってどういうことだろう…。明治37年9月といえば、寅彦が東大講師になった頃なのですが、ハテサテ? 今後の研究課題とします。
 何が大変だったのか、真実にはたどり着かないかもしれませんが、妄想は膨らみますよね☆

■2006.03.20 【『近代作家追悼文集成[25] 寺田寅彦』 ゆまに書房/その1】
 寅彦と実際に交流があった人の書く寅彦についての文章を読みたい、と思っている私にとっては「これだ!」という感じの本です。図書館で見つけたときには大喜びしちゃいました! ちなみに[1]正岡子規[5]夏目漱石です。夏目先生、さすがの厚さでした。人物その人はもちろん重要ですが、その人の周りに文章を著すことができる人がいるかどうかが後世に名を残す重要な点だな、と最近強く思います。現在に至るまで夏目漱石に関するたくさんの著書が残され、読み続け、研究し続けられていることは、親しい友人であったジェイムズ・ボズウェルが伝記を書いたことによって18世紀イギリスの文学者サミュエル・ジョンソンの言葉や人物が現在まで語り継がれていることに近いのではないか、と大それたことを想像しています。(そうだ、『サミュエル・ジョンソン伝』を読みたいと思っていたのを忘れていた…。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズの中で、ホームズの活躍を小説に描いているワトソンのことを伝記作家ボズウェルにたとえている場面があり、ボズウェルという名前を知りました。)閑話休題。

 さて、寅彦亡き後雑誌『渋柿』や『思想』で寺田寅彦追悼号が出たということは知っていたものの、実際に手に取る機会はなく、読んでみたいなぁと思っていたらこの本ですよ! 有名どころがっつり抄録! いいぞ! 1冊でたくさんの人の寅彦話に触れることのできるお得感。新たに編集したわけではなく、当時の誌面をコピーしたような構成なので、旧字体だったりかすれたりしていて読みにくい部分もありますが、それも何だか当時の雰囲気を感じられるような、ちょっぴり嬉しいような楽しいような気もします。でも続けて読むと、「寅彦、死んじゃったんだよなな」とだんだん寂しい気持ちに…。浮き沈みが激しいですか。でも、基本的には大変興味深い本です。ほしいなぁ…Amazonで調べたら7,560円(税込)でした。高っ!

 この1冊で寅彦の多面性をさまざまな角度から覗くことができるように思うのですが、もっとも親しく交流していた友人の1人であったであろう小宮豊隆の追悼文のタイトルは「破門」。巻頭の安部能成の弔辞に続く5ページ目でいきなり「破門」。寅彦、松根東洋城、小宮の3人の俳諧の会でぼんやりしたり雑談したりごろごろしたりしていた小宮をついに寅彦が破門したというエピソードで、それはそれで非常に興味深い話ですが…小宮、そこなのかよ!
 やっぱり小宮は小宮か、と思いながらページをめくると、中谷宇吉郎の「指導者としての先生の半面」の中に「
三十年の心の友を失はれた小宮さん」の「ひどく力を落とされた御様子」が描かれていて、しょんぼりとした小宮の姿が目に浮かびました。『寺田寅彦全集』の書簡編に掲載されている膨大な量の小宮宛の書簡の数やその内容から、相当親しい間柄だったことは初心者の私にも容易く想像することができます。「親しき仲にも礼儀あり」というか、親しいからこそ寅彦がピシャリと叱るような場面に遭遇することができたというか、まぁ、小宮にしか書けない話だなぁと読むたびに思うのでした。(ちなみに、破門後も2人は仲良し。)

 (破門されたことについて)いつまでたつても「後見人」を必要とするやうな私の一切を、寺田さんは是で叱つたのだといふ気が、段段して来る事を、私は禁じ得ない。これは或は私の感傷主義であつたとしても、少くとも寺田さんの俳諧に対する打ち込み方、学問に対する打ち込み方、生活に対する打ち込み方、――人生の凡てののもを受けとる受けとり方を、最も鮮やかに代表してゐるものであつたとは、言ふ事が出来るのである。 (小宮豊隆 昭和11.1.23)

■2006.03.20 【夏目夫妻と寺田夫妻】
 祖母
(漱石の妻鏡子)は、ときどきとんちんかんなことをいっては子どもたちに笑われたらしい。そんなとき、彼女がこういったというのだ。
「お前たちは、そうしてばかにするけど、お父さまはばかにしなかったよ。ちゃんと、やさしく教えてくださったよ」
 (引用:夏目房之介著 『漱石の孫』 実業之日本社)

 (寅彦)
と母(紳子)は会話のある夫婦で、いろんな面白いことを話したようです。知識欲のある母は父にいろいろなことを質問して、父も母にわかるように説明していました。 (引用:『寺田寅彦全集』第3巻月報 関 弥生著「母志ん子のノートによる寅彦像」)

 本を読んでいて、こういった記述に出会うとほのぼのと嬉しい気分になります。鏡子さんも紳子さんも悪妻説がありますが、夫婦の間でしかわからないやりとりがあったんだろうなぁと思います。『漱石の孫』の口絵には晩年の鏡子さんと孫(房之介氏ら)の写真があります。漱石晩年の頃の鏡子さんの恰幅のいい印象の写真とはちがって、すっかり枯れて(?)小さく、かわいらしいおばあちゃまになり、着物姿でちょこんと座っています。すっかり好々婆(?)、いい年のとり方をした顔だな、と思いました。部屋の奥には漱石の写真が飾ってありました。思わずにんまり。

■2006.03.20 【森 銑三著 『新編 明治人物夜話』 岩波文庫】
 先日図書館で漱石、子規関連で『明治人物逸話辞典』、寅彦関連で『大正人物逸話辞典』を読んでみました。編者森銑三の知識量というか、読書量というか、書物オタクというか、そういったものには驚くばかり…本当は借りて帰って付箋をはりながらじっくり味わいたいところだったのですが、残念ながら禁帯出。貸してよ〜図書館の偉い人〜!
 悔しいので同じ人が書いた『新編 明治人物夜話』を借りました。明治の人物の逸聞盛りだくさんの中の漱石や子規の話が目的だったのですが、語り調子がよいからか全然知らない人物でも楽しく読めます。西郷カッチョイイ! 馬術の稽古中に落馬して思わず「痛い」といってしまった明治天皇を馬上から見下ろして
痛いなどという言葉を、どのような場面にも、男が申してはなりませぬ」ときっぱり言った西郷。言えねぇ、言えねぇよそんな言葉! 西郷おそるべし。…まぁ、そんなわけで楽しいし1つの章も短いので電車通勤中に読むのによいかもしれません。私は自転車通勤なので通勤中に読めませんが。
 敬愛の念をこめて、あえて「森爺(モリジイ)」と呼ばせていただきます。
 ねぇ、留学する前に夏目先生が寅彦と一緒に子規に会いに行ったときの話、モリジイは知ってるの? もし知ってるなら教えてよモリジイ! どんなやりとりがあったの? どうなのよ、そこのところ! 教えてくれないと妄想に歯止めがかからないんだけど!←勝手に妄想してれば? ※森銑三(もりせんぞう/1895-1985):故人です。
 同じく岩波文庫から『書物』という本も刊行されています。読みたいな、と思ったものの、開いたが最後、いけない世界に足を踏み入れてしまうような恐れを抱いたので、とりあえず今借りるのはやめました。書物といえば、『新編 明治人物夜話』に登場する漢学者S先生の書物オタクっぷりはかなりヤバイと思います。病気だと思います。犯罪入っているような気がします。重度書物オタクのモリジイの目にもヤバイ部類の人に映っているような気が…名前伏せて書いてるし。真の書物オタクを目指す人は、S先生の話に「かくあるべし!」と思うべきなのだろうか…。いや、現在じゃそういうのは通用しないかも。もしかして当時も通用していなかったかも。

■2006.03.20 【Sukina Mono】
 Sukina Mono Itigo Kohi Hana Bizin Hutokorode site Utyu Kenbutu
         (好きなもの 苺 珈琲 花 美人 懐手して宇宙見物)

 上記、寅彦の句。私も苺大好き! 見てもきれいで宝石みたいだし、形も色も楽しいし、食べてもおいしいなんて最高だよね! お皿に盛られている苺を見ると、寒い冬が終わって春がやってくる実感みたいなものも伴って余計にウキウキするよね! 美人も大好き!←春です。生暖かい目で見守ってやってください(苦笑)。
 下記、拙句。
 Sukina Mono Hirune Yougasi Ocha Syomotu Hutokorode site Sibai Kenbutu
         (好きなもの 昼寝 洋菓子 お茶 書物 懐手して芝居見物)

■2006.03.19 【昭和5年1月1日 寺田寅彦の矢島祐利宛書簡(はがき)より】
 寺 田 寅 彦
 明治十一年十一月廿八日生
 本 籍 高知県高知市大川筋十三番地
 職 業 論文随筆濫造業
 持 病 胃潰瘍、ギンブラ等
 家 族 ナシ、同居人七人
 本年の希望、金を百万両位もうけて寝て暮したし
                             以上了

 私も寝て暮らしたし。
 それはともかく、年賀状の「謹賀新年」や住所などが記された後にこういったことが書かれています。寅彦に関する著者紹介や経歴は色々なところで見るのですが、寅彦が自分のことを紹介するとなるとこういった感じになるのかしら。お茶目? 「持病 ギンブラ」(銀ブラ)…納得。
 いつか自分も真似してこういう手紙を送ってみたいような気持ちになったのですが、誰に宛てて書いたらよいものか。

 さて、突然はじめてしまった「寅彦帳」です。タイトルの通り、寺田寅彦中心の構成です。…多分。
 年末頃から夏目金之助に強い興味を持つようになり、そのつながりで寺田寅彦作品を読み、寅彦のことを知るために中谷宇吉郎作品を読むようになり、そういった勢いがとまらないのでメモ的ページを作ることにしました。まだまだ初心者なので大層なことは書けそうにない上に趣味が偏っていると思いますが、よろしければお付き合いください。ちなみに、夏目漱石の小説はまだほとんど読んだことがありません…。興味の中心は 
作品<<人物 です。小説よりも随筆に重点を置いて読みあさっています。小説については、高校時代使っていた『国語便覧』に載っているあらすじ程度しか知りません…。すみません。まぁ、追々…。
 さて、トップの絵は写真を見ながら描いてみました。大体同じくらいの年頃の写真…? 私の絵ではよくわからないかもしれませんが、実際の写真を見ると洋服の仕立て(デザイン)が時代によって違うので面白いです。襟の形とか…。夏目の、襟が丸っこくてかわいいです。参考にした写真を見ながら思ったこと:夏目、天パくるくるでかわいい! 猫っ毛? 寅彦(この頃)髪短っ! 宇吉郎、髪多いよ! ゴワゴワだよ! ←髪のことばっかりじゃん!

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